決闘!小田代ヶ原


第五話

サイトウ
 

  

 むっくりベッドから起き上がった光也は鳴り続けている時計のアラームを止めた。寝ようとして布団をかぶった。ややあってやおら起き上がった。

「しまった。寝過ごしたか?」

 明かりを点け時計を良く見た。午前四時前だった。

「あーよかった」

 光也は布団のぬくもりの誘惑を断ち切り着替え始めた。

手際良く撮影機材をまとめ部屋を出、車に向かおうとした。クルマのキーが無い。登美子のことを思い出した。登美子の部屋まで戻った。ドアをノックした。返事が無い。

「登美ちゃん時間だよ。起きてるかい?」

 光也は呼びかけた。

「ふぁーい」

 寝ぼけ顔の登美子がドアを開けた。遮光器土偶みたいに目が半分くっついている。着替えの途中らしかった。髪の毛もバクハツしている。この分ではまだ時間がかかりそうだ。

「登美ちゃん、先に行ってクルマのエンジンかけて暖気しているからカギくれよ」

 登美子はあくび声で言った。

「そんなこと言って一人で行くつもりでしょ。駄目よ、そこで待ってて」

 ドアは閉まった。

「まったく、可愛げないヤローだぜ」

 光也はドアに向かって悪態ついた。そうゆっくりしているわけにはいかない。ドアの前を行ったり来たりした。

 しびれを切らした光也がドアを叩こうとした時、登美子は出てきた。

「お待たせー」

 時間がかかってるだけあって、さっきとは別人のごとき顔をしている。

「あ、ああ」

 ここで機嫌を損ねたら大変だ。

「俺ってずいぶん我慢強くなったよな」

 光也はまたぶつぶつ言った。

「さあ、行きましょ」

 ペンションのオーナーに頼んでおいたオニギリを受け取る。けっこう朝早く撮影に向かう人が多いのでペンション側でも準備がいい。

暗がりの中カメラバッグを抱え駐車場に向かった。車の窓ガラスは霜でびっしりだった。エンジンをかけたがフロントガラスの霜が取れる迄には時間がかかる。その間車の中でじっと待つ。

「光也、寒いわ。まだ走れないの」

「これじゃ危なくて無理。水温計があがればヒーターが効く、そうすれば霜も溶けるさ」

 だからさっき言ったじゃないか、と光也は言いたかったが後が恐いので止めた。

 ようやくヒーターが効きガラスの霜も溶け走行可能になった。二人を乗せた車は星空の下を走りだした。光也は走り出したと思ったらすぐに赤沼茶屋の駐車場に車を向けた。

 登美子が不思議そうに聞いた。

「あれ、ここ昨日の朝車停めた所でしょ?」

「そうだよ」

「光也、竜頭滝に最初に行くんじゃなかったの」

「いや」

「だって橋本田首相は・・・・」

「そう、予定通りさ」

 光也は登美子の方を向いた。

「天気は良い。予定通り首相と大統領は竜頭滝を先に見学する。今頃もう向かっているだろう」

「じゃ、なんで」

「竜頭滝には犯人らは現れないからさ」

「えっ!

 登美子は驚いた。

「俺は犯行グループらの現れる小田代原に先回りするのさ」

「どうして竜頭滝には犯人が来ないってわかるの?」

「ちょっと考えればわかるよ」

「・・・・・・?」

 光也は説明しだした。

「昨日派手に犯行グループの仲間らしき奴が暴れたろ。あれで竜頭滝近辺の警備は厳重を極めている。犯行グループが余程無理して襲ってきたとしても首相達に近付くのも無理だろう」

「あの空手使いみたいなのがいっぱい出てきたらどうするの」

「警察だって対策は立てているさ」

「・・・・・・」

「それに俺達がいまから行こうとしても警備が厳重でそばには近付けないよ。当然検問もしているから車を竜頭滝の駐車場にいれたりしたら、今度は小田代原に間に合わなくなる」

「確かにそうね」

「というわけで、犯行グループは比較的警備の手薄になる小田代原で、襲撃する計画をたてているはずさ」

「だって、入り口にゲートがあって入れないわよ。あの道どこかに続いているの?」

「柳沢林道は中禅寺湖畔、千住が浜で行き止まりさ。徒歩なら移動できるけど車は無理だよ」

「じゃ、どうやって襲ってくるっていうの」

「どんな方法で襲撃してくるかはまだわからない」

「本当にくるの?」

「それを確かめるためこれから小田代原に向かうんだよ」

 登美子はなんとも釈然としない顔をした。

「わかったわ。で、電気バスに乗って行くんでしょ、バスの出発時刻は?」

「いや。歩きだよ」

「えーっ、なんで」

「バスの時間じゃ、首相達を隠れて待つには間に合わない。それにバスにも私服警官が乗り込んでいて俺達変な行動とれないよ」

「わたし歩くの嫌だな。真っ暗なんでしょ、それに寒いし」

「いいよ、一人で待ってても、ペンションに戻ってたら」

 登美子は憮然とした表情で言った。

「わかったわよ、行きますよ、行けばいいんでしょ!」

 登美子は出発の準備を始めた。光也もマグライトを準備しながら一人つぶやいた。

「あー危なかった、登美ちゃんもう少しで大魔神になる所だった。遮光器土偶なら笑って済むけど怒りの大魔神になったら手がつけられないからな」

「いま、何か言った?」

 登美子が低い声で言った。

「いや、なんでもないけど」

 光也はすかさず誤魔化した。

「さあ、行くよ、早くしないと。徒歩だとけっこう時間がかかるから」

 二人は身仕度を整えると赤沼茶屋を出発し小田代原に向かった。空では満点の星が瞬いていた。

 

 

 竜頭滝上側の駐車場では植野山警視と遠峰刑事が寒風の中首相達の到着を待っていた。

 遠峰はコートの衿をたてて寒さに耐えていた。

 遠峰は植野山警視に話しかけた。

「警視、しっかし奥日光ってのは寒いところですね。今氷点下二度ですよ」

「そりゃ東京とは違うからな。なんたってここは奥日光だよ、標高千メートル以上あるのだぞ」

「は、そりゃそうですけど」

「やっぱり背広にコート姿ってのはここでは似合わんね」

 寒さに震える遠峰を見て呑気なことを植野山警視は言っている。「警視、そろそろ交替してくださいよ。橋本田首相達の到着までにはまだ時間あるでしょ」

「いやまだだ、それに何時変化があるかわからんからな」

 植野山警視はヒーターを点けた車の中から窓をちょっとだけ開けて会話をしていたのだった。

「そんなこと言わないでちょっとだけ」

 遠峰刑事は強引に車に乗り込んできた。

「これだけの大人数で張っているんですから大丈夫ですよ。うー寒い」

 垂れた鼻水をティッシュでかむ。

「チーン」

 植野山警視はそれを見つつ言った。

「うーん、遠峰君。いつもは聡明そのものなのに、鼻垂れ小僧とはなんともお間抜けだね」

「ほっといて下さい」

「しょうがない。ではわたしが見張るとするか」

 植野山警視は車を降りると滝の横に続く階段と遊歩道に向かって歩いていった。東の空がわずかにしらじらと明けてきた。冷気が体を包む。息が白い。

 遊歩道には私服警官がワンサといた。アマチュアカメラマンの格好しているもの、アベック、外人、浴衣姿の夫婦までいる。色々変装して一般人に紛れ込んでいるがどう見たって不自然だ。場所取りの写真家以外に暗くて寒いのにうろうろするわけ無かった。

 林の中には警官が待機していた。昨日から一帯をくまなくチェックして、不審なものが置いてないかも調べてあった。当然国道沿いには何箇所も検問が設けられ、事情を知らない一般観光客はそのものものしさに面食らっていた。

「うー寒い。だめだこりゃ」

 植野山警視はちょっとそのへんを見てきただけで車に戻ってきた。ふと中を見ると遠峰刑事は缶コーヒーで一服しているところだった。警視も車に乗り込んだ。

「俺にもくれっ」

「あっ、僕の」

 植野山警視は遠峰刑事の手から缶コーヒーを取るとぐいっと飲みこんだ。

「うーげげっ」

 警視はいきなり吐き出した。

「なんだこりゃ」

「警視、これコーヒーじゃなくてお汁粉ですよ」

「変なもん飲むな!」

「そうですか、こういう時にけっこういいっすよ」

 植野山警視は自分も用意してくれば良かったと思った。遠峰刑事はバッグを開けた。

「警視も何か飲みます?」

 植野山警視がバッグの中をのぞくと渋柿ドリンク、モロヘイヤジュース、青汁コーヒーなどマニア向けばかりだった。

「うっ・・・・・・わたしはけっこうだ」

「そうですか。じゃ僕はもう一本」

 遠峰は『八甲田の美味しい水で作った緑茶黒砂糖&生牡蛎エキス入り』を取出しパコッとフタを開けた。

「遠峰君、飲みすぎないように。トイレに行きたくなるぞ」

「大丈夫ですよ」

 突然無線が鳴った。

はい遠峰です

こちら一号車、首相一行は今イロハ坂を通過したとの連絡あり。あと十分程で到着する予定=@

了解、何か変わったことは

今の所異常なし

了解しました

 遠峰は飲みかけの飲料水を一気に飲み干すと、やおらショルダーホルスターから拳銃を抜いた。シリンダーに弾丸が装填されているかチェックしはじめた。

「遠峰君、そのごつい拳銃は」 

 植野山警視が言った。

「はい、コルトパイソン357マグナムです。ちなみに6インチタイプ」

 手先でクルクル回してみせた。

「君、そんなの何時の間に」

「ええ、通常配備のニューナンブ38口径じゃ頼りないかなーなどと思いまして」

「日本でそのようなマグナムなど不要だ。ここでは使うなよ」

「ですが、警視。今回は犯人らの行動がいまひとつ不明です。もし、恐ろしい兵器を使用したら」

「心配するな。そんな奴らがカンフー男に下見させるか」

「そういえば、そんな気もしますね」

「一般観光客に流れ玉が当たったりしたらそれこそ大変だ。慎重に行動してくれ」

「わかりました」

 遠峰は銃をホルスターに戻した。

「遠峰君、行こう」

「はい」

 二人は車を降り遊歩道に移動した。イヤホンを目立たないように装着する。

「僕は比較的長髪だからイヤホン隠れますが、警視は丸見えになってしまいますね」

「こんなとこで朝からプロ野球ニュースとか、競馬情報聞く奴はいないからな。それにこんな格好だ、どうせわかってしまうよ」

 空がだいぶ明るくなってきた。飛沫が霧になって滝の上を漂っていた。白く霞んだ流れにモミジの葉が赤く映える。水の流れる音が聞こえてくる。

首相の車が来たぞ!

 イヤホンから声がした。遠峰は緊張してくるのがわかった。思わず左脇の拳銃の重さを意識しないわけにいかなかった。

 一台、また一台。パトカーに先導されてリムジンがやってきた。車は所定の位置に停止した。すばやく回りにSP達が集まる。

 報道陣らしき人影は無かった。新聞発表では東照宮近辺となっていたので、今頃そっちに場所取りしているのだろう。何事かと観光客が集まってきた。時間が早いせいで混乱が起きるほどの人数では無かった。

 植野山警視と遠峰刑事は、やや離れた場所で周囲に気を配っていた。今のところどこにも異常は無かった。

 ドアが開いた。橋本田首相が降りてきた。紺のダウンジャケットを着ている。いつもテレビで見るような油ぎった印象は無かった。ただその辺のおっさんと決定的に違っているのは離れていても伝わってくる存在感の大きさだった。

 片手に一眼レフカメラを持っていた。首相の奥さんらしき女性も降りてきた。

 後ろのリムジンから背の高い外人が降り立った。革のジャケットを着ている。A国大統領だ。続いてブロンドヘアーの女性。大統領夫人だ。こっちは目立つ。

 大統領、夫人ともに背が高い上にまるでハリウッド俳優のような身のこなしだ。

 橋本田首相らと共に道路を横断し遊歩道の階段に向かう。

 明るさを増した東の空は、朝焼け雲の中からいましも太陽がその姿を現す所だった。

 光が帯状に太陽から何本も伸びて川面の霧に揺らめく。光を受けた紅葉は逆光にその輝きと色を変えて、白い霧の中に舞い降りていく。たぶん竜頭滝が一日の中で最も幻想的な時間だろう。

 遠峰刑事は橋本田首相が満面に笑みを浮かべでA国大統領と何事か話しているのを見た。もちろん通訳を通して。竜頭滝をバックにカメラを構えて大統領夫妻を撮っていた。ほとんど日本人丸出し。まさかピースサインの注文つけたりしないだろうな。

 植野山警視はイヤホンに注意を向けていた。どの班からも今のところなんら変わった情報は寄せられてこない。首相達は遊歩道を歩いていった。護衛のSPが一緒に動く。警備もすべて予定通り進んでいく。

「警視」

 遠峰刑事が寄ってきた。

「どうした?」

「いえ、別に変わったことがあるわけではないのですが、光也君の姿がありませんね」

 植野山警視も首相らにあわせ少しづつ移動した。

「わたしもちょっと気になっていたのだよ」

「時間を間違えているのでしょうか」

「いや、あいつはちゃんとわかっている。昨日犯行グループの一人と思われる男を見つけているくらいだ。今日だって犯人探しに加わりたくてうずうずしているに違いない」

「・・・・・・」

「光也のやつ、何か考えているな」

 植野山警視はまた落ち着かなくなってきた。無意識にポケットに手を入れたり出したりした。

 遠峰は手の冷たさを摩擦熱で暖めながら言った。

「警視、犯行グループは昨日の一件で計画を中止したのではないでしょうか」

「うーん」

「仲間の一人が危うく捕まりそうになったので警備が厳しくてあきらめたとは考えられませんか」

「・・・・・・なんとも言えんな」

 植野山警視は柵によりかかりじっと考え込んだ。確かに襲うとすればルートの限定される小田代原よりここ竜頭滝が最有力だ。現にやつら下見していた位だし。作戦を変更して東照宮で襲うというのは・・・・・・いやあそこの警備はここの比ではない。それとも移動中を狙うのか?でも検問だらけのはず。特にイロハ坂と日光宇都宮有料道路のあたりの警備、東照宮近辺は徹底している。仮に大人数できても万全だ。逆に警備が手薄なのは小田代原だ。しかし襲撃には最も向いていないはず。

「うーむ」

 警視は犯行グループの中に日光にかなり詳しいものが、仲間として加わっているらしいことを思い浮べた。風景写真を撮っているアマチュアカメラマン。

「警視、何か?」

 遠峰は警視の深刻そうな顔をのぞき込んだ。

「まさか」

 植野山警視が突然声を高めた。

「どうしたんですか」

「小田代だ」

「何がです?」

「犯行グループは小田代原で仕掛けてくる」

「えっ!」

「遠峰君、わたし達は先に小田代原に向かおう。連絡をとって移動だ」

 二人は階段を急ぎ足で上り駐車場に戻ると車に乗り込んだ。朝日がフロントガラスに反射した。車は小田代ヶ原に向け走りだした。

  

 

 光也と登美子は小田代原に向け歩いた。

 カメラマンが朝日の出るのを待ち構えている撮影ポイントに着いた。

 光也は間断無くアマチュアカメラマン達の様子を探った。昨日の朝と同じようなシチュエーションだ。実際昨日見かけた人が何人もいる。新日本写真家協会日光支部の木村と中谷もいた。例の三人組の姿も中にあった。光也は彼らに見つからないように移動した。

 湿原の色づいた草々。葉の先に霜が小さな氷の造形を形づくっている。光也は一瞬写真を撮りたい衝動に駆られた。

「とにかくこっちを片づけたら、目一杯撮ってやる」

 カメラバッグの重さを意識しながら光也は決心した。

「光也、どう。何かわかった?」

 息切れ気味の登美子が後ろから声をかけた。

「いや・・・・・・少なくともこの中に昨日竜頭滝にいたような奴はいない」

「ほんと?」

「たぶん連絡係は紛れ込んでいる」

「やっぱりいるの」

 登美子は不安そうな顔になった。

「ただし襲撃メンバーは別の所に待機しているはずさ」

 二人は人気の多い場所を避け道路にでた。目立たない位置に腰を降ろした。

「登美ちゃん、ちよっと地図出して」

 地図を受け取ると光也は広げて見始めた。

 登美子には昨日と同じような小田代原の朝に見えた。警官の姿が見えなければ、ここに光也のいう通り橋本田首相とA国大統領が来るなんて絶対信じられなかった。

「そうだ、絶対間違いない」

 光也が言った。

「どう、わかった?」

「ああ、こうしてる場合じゃ無い。急がなくちゃ」

「で、どうするの」

「叔父さん達の来るのを待つ」

「首相達といっしょにくるんじゃないの」

「いや、叔父さんは必ず先にやってくる」

「どうしてわかるの」

「叔父さん達の今回の職務からして先にやってくる。それに」

 光也は自信ありげに言った。

「俺のカン」

「まあ」

 登美子は呆れた。大事件がこれから起きるかも知れないというのに、余裕なのかただの大間抜けなのかわからなかった。

 空がさらに明るくなった。小田代原に日の出が近いことを告げていた。

  

 

 植野山警視と遠峰刑事の乗った車は小田代原に向かって走った。

 竜頭滝駐車場を出て左カーブを曲がる。二百メートル程走ると小田代原に通じる柳沢林道入り口が左手の林の中に見えてきた。

 ゲートで車を止める。警備の警官は二名。

 植野山警視は声をかけた。

「植野山だ。ゲートを開けてくれ」

「はいっ」

 警官が操作すると自動でゲートが開き始めた。

「何か変わったことは?」

 若いほうの警官がやや緊張した表情で答えた。

「電気バスが定刻に通過しました。後はアマチュア写真家と思われる者が数名徒歩で、自転車に乗ったものも数名通って行きました。他に異常ありません」

「そうか。もう時期首相達がやってくる。よろしく頼む」

「了解」

 バックミラーでゲートの閉じるのを見ながら遠峰は車を走らせた。

「警視、警官二名しかいなくて大丈夫でしょうか」

 車は石南花橋を過ぎた。林の中に道は続いていた。

「首相達の移動に合わせて、こっちに他の連中も来ることになっている」

「小田代原には私服警官は多数配備してあるのですか?」

「いや、当初の予定と変わり竜頭滝の警備にかなりの人員を回してしまったのでそんなにいない」

「ってことは、もしここで襲撃されたら」

「そう、応援が来るまでの何分かは持ちこたえなきゃならん」

「・・・・・・」

「もっともそうならんようにこうして我々は先に小田代原に向かっているのだ」

 直線を過ぎ道が細くなる。左に曲がると湿原が木立の間から見えてきた。そのまま山沿いに右に湿原を見ながら走った。駐車場に車を止めた。

 植野山警視と遠峰は車を降りた。展望台に向かった。

 小田代原は朝靄に包まれていた。乳白色の靄が湿原に低く垂れこめている。その湿原の中に一本の白樺が静かに立っている。

 湿原に沿って延びる遊歩道沿いの柵にはアマチュアカメラマンの三脚が所狭しと並んでおり出番を待っていた。ただしいつもの光景と違うのは制服姿の警官が所々に立っていることだった。

「すごい人ですね」

「寒いのにこの朝っぱらからずいぶんたくさんいるな」

「あのアマチュアカメラマンの中に私服警官が混じっているのですね」

 遠峰は聞いた。

「ああ、犯行グループのメンバーは昨日竜頭滝でアマチュアカメラマンの格好していたからな。その点は抜かりなく私服警官がチェックしている。それと首相達が来た時の場所取りも兼ねている。この人出じゃいいとこ確保するのは難しいからな」

 遠峰は人の多さにうんざりした。もしここで事件が起きたらえらい騒ぎになる。

「警視、小田代原に着きましたが」

「うーむ、絶対にここが怪しいんだが」

「とりあえずどうしましょう」

 ポケットに手を突っ込んだまま警視は振り返って言った。

「寒いから車の中で考えよう」

 二人は車に戻り地図を広げた。腕時計を見た。そろそろ首相達が竜頭滝を離れる時間だった。

「予定通り進んでいる。首相達が車に乗り込む頃だ」

「僕達はどうします」

 遠峰はどうしていいかわかなかった。じっと待っているのも芸が無い。せっかく来たのだ。植野山警視の的確な指示を仰ぎたかった。遠峰は警視に言った。

「警視」

 警視は無言だった。じっと地図を見ていた。

 唐突にサイドウィンドウで声がした。

「叔父さん、答えは簡単。この道を千住が浜に向かって進んで、大至急!」

 光也だった。登美子もいた。

「光也!」

 光也は三脚のケースとカメラバッグを抱えていた。

「叔父さん時間が無いんでしょ!早くいかないと大変なことになるよ」

「なんだ?」

「叔父さん、警備が厳しいときに襲撃を考える奴はどうする?」

「そりゃ、一番手薄な所を見つけて・・・・・」

「この林道、車は行き止まりでも方法があるよ。奴らの狙いはそれさ」

 植野山警視はピンと来た。

「まさか?」

「待っていたんだ、叔父さん達がくるのを。俺達も乗せてよ、荷物があるからトランク開けて!」

「しっ、しかし」

 遠峰は事態がよく飲み込めなかった。

「早く!躊躇してる時間はないんだ。走りながら説明するよ」

 光也は車のトランクにカメラバッグと三脚ケースを入れると後部座席に乗り込んできた。

「おじゃまします」

 登美子も乗り込んだ。

 植野山警視が言った。

「登美子さん、あなたはここで待っていたらどうかね」

 登美子はきっぱり言った。

「いいえ私も行きます」

 遠峰が車を動かしながら登美子に向かって言った。

「とても危険かも知れないよ」

「それでも行きます」

「・・・・・・」

「だって」

「だって?」

「外にいるの寒いんだもん」

 車は走りだした。

 湿原に沿った道は林に向かって続いていた。上り坂になり今度は下り始めた。急なカーブを何回か過ぎると落葉松の林が続く緩やかな直線になった。林道といっても道は舗装されていた。

 遠峰は後部座席の光也に気になっていたことを尋ねた。

「光也君、千住が浜まで行くと何がわかるんだね」

「国道は警備が厳しい。ある程度の人数で騒ぎを起こすためには、目的地まで警察に気づかれずに移動しなくてはいけませんよね」

「それはそうだろう」

「小田代原の国道からの入り口は警備が厳しいけど反対側、つまり千住が浜から小田代原に向かうルートはほとんど無警戒。普通に考えれば行き止まりの林道から襲撃なんて考えられませんから」

「そこから犯人グループが襲撃してくるって言うのかい?」

 遠峰は信じられないというように首を振った。

「そう、そのとおり」

「いくら無警戒でも当然事前に、西湖とか千住が浜近辺に怪しい奴がキャンプとかしていないか調べている。大人数で来るってのは無理じゃないかな」

 植野山警視が時計を気にしながら会話に割って入った。

「いや、方法があるんです」

 光也が言った。

「千住が浜の向こうは中禅寺湖ですよ」

「そう、湖さ。だから・・・・・」

 植野山警視が言いかけた。

「船だ!」

 遠峰刑事は急に叫んだ。

「船を使って・・・・・」

「そう、たぶん昨晩のうちに船に乗り込み中禅寺湖上で待機。今朝早く千住が浜に上陸。今頃襲撃の準備をして小田代原目指して出発している頃さ」

「そっ、そんな」

 無線で連絡を取っていた植野山警視が言った。

「いま、首相達が小田代原に到着したそうだ」

「それじゃもう犯行グループに襲撃開始の連絡が入ってるかもしれませんね」

「ああ」

 道は緩くカーブしながら山の斜面と細い川に沿って続いていた。この辺りの道幅は狭かった。

 前方から十数台のバイクが走ってくるのが見えた。

 植野山警視がつぶやいた。

「こんな所をツーリングか、のんきなこった」

「ツーリング?」

 遠峰は首をかしげた。

「待てよここは二輪も通行禁止」

「あいつらだ!」

 車内に緊張が走った。

「船にバイクを隠して積んできたのか!」

 モトクロッサータイプのバイクにはでなカラーリングのウェアとヘルメットを着けたライダーが、こっちに向かってぐんぐん近づいてくる。

 遠峰が声を大きくした。

「なんて目立つ格好してやがるんだ!」

 光也が言った。

「叔父さん、バイクで小田代原に行かれたら大変だ。ここで食い止めなきゃ!」

「わかってる」

「遠峰君車をあそこの道幅の狭くなっている所に止めるんだ」

「はいっ!」

 遠峰は片側が崖でもう一方が川になっている場所に車で道路を塞ぐように止めた。

「光也!登美子さんと後ろに隠れてろ」

 光也は登美子の手を引っ張って車の影に隠れた。登美子は恐怖のためか顔が蒼かった。

「遠峰君行くぞ!」

 遠峰はショルダーホルスターからコルトパイソン357マグナムを抜いた。

「遠峰君そいつはまだいらん。向こうが発砲してくるまでは使うなよ」

「しっ、しかし」

「わたしにまかせろ」

 植野山警視は車を降りると前に歩き始めた。五十メートル位の距離でバイクは次々に停止した。2ストロークエンジンの弾けるような排気音が不気味に聞こえてきた。あたりの静けさに対しなんとも不釣り合いな音に聞こえる。

 警視は怒鳴った。

「おまえら、ここは通すわけにいかん。速やかにバイクから降りてこっちに来い」

 植野山警視の口から白く息がでて空中に消えていった。バイク野郎に反応は無かった。

 続けて遠峰も叫んだ。

「こっ、ここは一般車通行禁止区域だっ! そっ、それに、そのバイクは公道走行禁止のモトクロッサーだな。道交法違反で現行犯逮捕する。おっ、おとなしくしろ」

 やはり反応は無かった。

 植野山警視は立ち止まった。

「遠峰君やつら仕掛けてくるぞ」

「警視、バイク乗ってるうえにあんなに大勢いますよ。どうするんですか」

「うーん。素手ではちょっときついかな」

「けっ、警視。ちょっとどころかマグナム使ったってこりゃヤバイっすよ」

 遠峰はこういう経験は今まで皆無だった。どう対処していいかわからない。すでに腰が引けていた。

「応援を至急呼びましょう!」

「残念だが、そういう時間はなさそうだ」

 バイクの空吹かし音が一斉に高った。明らかに強行突破するつもりのようだ。

 先頭の二台が砂利を飛ばしながら急加速して突っ込んできた。

「遠峰君下がっていたまえ」

 植野山警視は一人バイクの前に立ちはだかった。バイクは猛然と警視目掛けて突き進んで行く。遠峰の目にはバイクが警視にぶつかったように見えた。

「警視!」

 だが警視はただ風が通り過ぎたかのように何事もなく同じ所に立っていた。

ザザーッ!

 バイクはタイヤを鳴らしてブレーキターンした。車体の向きを変え再び警視目がけて襲いかかった。今度も警視はまるで散歩しているような足取りで軽く避けた。

 バイクの一台が何かの合図を出した。四台のバイクが前輪を浮かせて猛然と道幅いっぱいに迫ってきた。

「これは困ったな。避けるのも楽では無い」

 それでもどうやって避けたのか植野山警視はバイクの攻撃から逃れた。バイクはかなり腕の立つものが操っているようで四台同時にアクセルターンしてまた攻めてきた。砂埃が舞い上がる。

 次々と押し寄せる攻撃を警視はかわしていたが、次第に崖に追い詰められていった。

「このままじゃ、叔父さんが危ない!」

 光也は車の陰から見ていたがトランクから三脚ケースを取り出した。中を開けると赤樫でできた四尺の木刀を取り出した。登美子が木刀を眺めた。

「なに、それ」

「ペンションの土産物売場にあった一番丈夫そうなのを持ってきたんだ」

 光也は木刀を手にして車の前に走りだした。

「光也、危ないわよ」

「これがなきゃ叔父さんの実力が発揮できないよ!」

 遠峰は拳銃を使うか使うまいかホルスターに手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。その脇を光也は走り抜けた。

「こらっ光也君、行ってはいけない!」

 遠峰が叫んだ。光也は止まらず植野山警視に向かって走った。

 光也は叫んだ。

「叔父さん!これっ」

 植野山警視が振り向いた。

 光也は警視に向かって木刀を投げた。木刀は植野山警視の手に吸い込まれるように届いた。

「おうっ!光也」

 バイクがチャンバーから青白い排気煙を出し、両側から植野山警視目がけて迫ってきた。それをかわすと植野山警視は木刀を持直し両腕を天に向かって突き出した。

「あの構えは?」

 遠峰はその構えの異様さに気づいた。彼も署内の剣道大会とかで多少は見聞きしていたがそのどの構えとも違っていた。腰を落とし八相の構えよりも高く木刀を構えている。ほとんど両腕を天に向かって伸ばしたような独特の構え。

 植野山警視の顔つきがさっきまでとは変わった。目に射るような光が宿り始めた。

 バイクが同時に攻めてきた。

 警視の口から烈迫の気合いが響いた。

「チェストーッ!」

 植野山警視の木刀は左側から来たバイクに向かって右袈裟に振り降ろされた。切り裂いたと言ったほうが正しいかも知れない。そのまま流れるように剣先を横に払い右側のバイクを打った。

 稲妻のきらめきにうたれたように、二台のバイクはコントロールを失い転倒した。

「!」

 遠峰はあっけに取られた。速すぎて何が起こったのかよく理解出来なかった。

 激しい排気音を上げて別なバイクが植野山警視目がけて走ってきた。道路の段差を利用してジャンプする。一気に空中から躍りかかってきた。植野山警視は木刀を払い上げた。

 バイクはバランスを崩し前輪から地面に落ちた。ライダーは投げ出され、バイクは崖を落ちていった。

 警視は再び木刀を高く構え別なバイクに対峙した。彼らは以外な状況に焦ったようだった。仕掛けてこない。

 睨み合いが続いた。たいした時間ではないような、長いような時間が過ぎる。遠峰警視はすり足で近づき始めた。

「けっ、警視」

 遠峰は警視が敵に近づいて行くのを見た。今まで戦っていた場所は道幅が狭く大勢の敵と戦うには有利な場所だった。だが敵の近くは道幅が広く回りを取り囲まれる恐れがあった。

 案の定警視が近づくのを待っていたようにバイクは急に動きだし警視を取り囲んだ。回りながらバイクは輪をどんどん狭めてきた。

 耳元で騒ぐススメバチの羽音のような排気音が高まっていく。警視はいっこうに動ずる様子も無く輪の中心にいた。

 輪がさらに狭まった。バイクが間合いに入った。その刹那警視が動いた。

「チェストォーーッ!」

 烈迫の気合いとともに木刀が振り降ろされた。弾かれたように乗っていた男は振り落とされ、バイクは崖に突っ込んだ。こぼれた燃料に火花が引火したらしく、バイクが燃えだした。それに目もくれず警視は木刀を振った。下段から切り上げる。バイクは川に転落していった。

 一台、また一台と警視の木刀が見えない動きをするたびバイクが倒れ地面に転がったまま動かない敵の姿が増えていった。

 ついに残り二台になったとき、敵は逃げ出した。だが動きは警視に読まれていた。バイクは元来た道を引き返そうとしたが警視は走って追い付き横に木刀を薙いだ。

 犯人らはバイクごとひっくり返った。一人は動かない。もう一人は倒れたバイクの下から這い出して来た。

 遠峰は自分が口を半開きにしているのを忘れて植野山警視の活躍に見入っていた。

「警視がこんなに強いなんて・・・・・・」

 自分の予想を超えた圧倒的強さに、感動を通り越して畏怖をおぼえていた。どうして警視庁剣道杯とかで噂を聞かないのだろうか?これほどの実力の持ち主が署内で知られていないのは不思議だった。何か理由があるのだろうか。

 遠峰は警視に近付いていった。

「・・・・警視」

「・・・・・・遠峰君」

「ケガは?大丈夫ですか」

 植野山警視はいつもの感じに戻っていた。

「ああ。なんとも無い」

 遠峰は改めて回りを見た。

「派手にやりましたね。こりゃ」

 バイクがいたる所に引っ繰り返り犯人たちが倒れていた。炎上したバイクから黒煙が上がっていた。

「こいつら、死んでるのでは?」

「いや、手加減したから気絶してるだけさ」

「・・・・・・いま小田代原の仲間と連絡が取れました。もうすぐ応援が駆け付けます」

 植野山警視は腕時計を見ながら言った。

「首相達はどうした?」

「はい、予定通り小田代原をひととおり見学し既に車で出発したとのことです」

 川原から昇る水蒸気は朝日をあびて金色に輝いていた。

 もとの静寂が戻った。どこからか鳥の鳴声が聞こえる。

 最後に倒したバイクの下から、這い出して逃げようとしていた犯人を遠峰警視はつかまた。

「こいつ、バイクで襲撃とは考えたな。やい、ヘルメットを取って顔を見せろ!」

 犯人は観念したのかヘルメツトを自ら外した。

「アッ!」

「ンッ?」

 遠峰と植野山警視は同時に声をあげた。

 長い髪が現れた。女性だった。まだ若い。二十歳位か。

「おっ、女!」

 モトクロスウェアに身を包んだ女性は立ち上がった。

「アー痛い。・・・・・・失敗しちゃった。」

「おまえ、何者だ!」

 女性は辺りを見回した。仲間が完全に伸びているのを見て残念がった。

「賞金、パーだわ・・・・・・」

「賞金だと?」

 やおら腰のウエストバッグに手を伸ばした。遠峰は一瞬緊張したが彼女が取り出したのは、ただのコンパクトだった。

「もう、埃だらけになっちゃったわ」

 顔の化粧を直し始めた。

 あっけにとられていたが遠峰は言った。

「おい、僕達は本当の警察だ」

「うそー?」

「本当だ!」

「だって、あの人たちは?」

 光也達を指差す。仕方無く遠峰は警察手帳を見せた。

「えーっ!本物なのね」

 おおげさなリアクションの割りにはあまり驚いていない。

 植野山警視が近づいてきた。木刀はもう手にしてはいなかった。光也と登美子もやってきた。植野山警視は彼女に言った。

「聞かせてもらおうか。誰に頼まれた」

「わたし達、大学サークルのモトクロス愛好会よ。わたしはそのマネージャー。いいアルバイトがあるからやらないかって言われたのよ」

「どんな?」

「日光にやってくるターゲットをバイクでとり囲んで脅かしたり、捕まえたりすることが出来たら、賞金がもらえるって。チャレンジ番組だからって」

「・・・・・・」

 彼女はあっけらかんとしていた。聞きたいことを自ら進んで先に話した。

「途中で邪魔する奴がいても乗り越えて進めってね。警察っていわれても演出だから遠慮せずやっつけろって」

「演出だと?」

 遠峰は呆れた。

「それなのに、たった一人の男に木刀で簡単にやられちゃうなんて。情けないったらないわ。これじゃ賞金は貰えないわ」

「・・・・・・」

「もしかしてわたしってだまされてたのかしら?・・・・・・くやしい」

 彼女は仲間の心配よりも金にならなかった事の方がこたえたらしい。

 植野山警視は彼女をじっと見た。

「遠峰君、どうやら利用されているだけのようだな」

 遠峰は彼女に尋ねた。

「君たちの依頼人はどんな人だった?」

「うーん、顔は見ていないからわかんない」

「声は」

「うーん。けっこう年配の人かな」

「ここまでどうやって来た?この道路は通行禁止だぞ」

「船よ。中禅寺湖までバイクをトラックに乗せてきて。そこから船に乗せたのよ。わたしらのバイク、モトクロッサーだから公道走れないでしょ。それで船使うんだって言われたのよ」

「変に思わなかったのか」

 彼女はきまり悪そうに言った。

「そりゃ。話がうますぎると思ったけど、モトクロスの大会に出る資金も欲しかったし・・・・・・」

「他に何か知らないか」

「うーん・・・・・・そうだわ」

「なにか思い出したか」

「そうそう、わたしらとは別に他のグループにもなんか依頼してたみたいよ」

「んっ?」

「やっぱり、そのターゲットを見つけて襲うのよ。たしか・・・・・・」

「確か?」

「一般路を移動するターゲットを検問を避けて襲うっていうシナリオだったような」

「連絡は取れるのか?」

「だめ、向こうからの一方的指令のみなの」

「うーん」

 光也が口を挟んだ。

「叔父さん、きっと襲撃に失敗したこともう犯人は知っているよ。この分では何か次の方法で襲撃を企んでいると思うよ」

「そうだな」

「早く、引き返そう」

 パトカーのサイレン音が聞こえてきた。駆け付けてきた警官に事情を説明し、植野山警視達は車を走らせた。光也と登美子もしっかり乗り込む。

「遠峰君、道路を検問していた者に何か変わったことは無かったか確認してくれ」

「了解」

 遠峰は、国道沿いで警備に当たっていた警官と連絡を取った。遠峰は何事か無線に向かって話していたが、少しして植野山警視に報告した。

「警視、戦場ヶ原駐車場で警備していたものからの連絡ですが、不審なオートバイの集団が少し前に急に出発したそうです」

「ただのバイクツーリングではないのかね?」

「それが、無線でどこからか連絡が入ったとたんおおあわてで湯元方面に走っていったそうです」

 植野山警視は考えて言った。

「オートバイの集団とはどうもひっかかるが、方向が違うようだな。向こうにいったのなら心配はいらん」

「ですが、警視。警備の者が念のため、湯元温泉の金精道路入り口と光徳牧場の山王林道入り口の警備に連絡したがどちらも通過していないそうです」

「そりゃ、きっと湯滝の辺りでも見学してるのではないかね」

「いいえ、そこにも寄った形跡は無いとのことです」

「うーむ、何か関連しているのか?・・・・・・とにかく情報をもう少しよこせ」

 遠峰はまた無線と何事がやりとりした。

「何?本当か!」

 遠峰の声が大きくなった。

「遠峰君どうした」

「警視、新しい情報ですがそのバイクの集団は光徳牧場方面に戦場ヶ原から右折したことは確実です」

 植野山警視はいぶかしそうに言った。

「じゃなんで光徳牧場近辺にいないのだね」

 光也が後ろの座席から口をだした。

「遠峰さん、そのバイクらはみんなオフロードタイプでしたか」

 遠峰はなんだという顔をしたが警視の顔を見て無線の相手に確認した。

「ああ、どうもそうらしい」

「まさか!」

「光也、おまえうるさいぞ。ちょっと静かにしていなさい」

 植野山警視が次の言葉を言う前に、光也は言った。

「あいつら、イロハ坂を下った所で襲撃するつもりだ」

「なんだと!そんなこと出来るわけないぞ」

「叔父さん、地図見て」

 光也は植野山警視に地図をつきだした。

「裏男体林道だよ」

「?」

「あいつら、この道から検問の厳しい国道を避けてイロハ坂を下り警備の薄い場所で襲うつもりだよ」

 日光の地図には男体山のふもとに沿って北側に細く曲がりくねった道がイロハ坂とは別に記されていた。

 遠峰は笑いながら言った。

「光也君、この道は完全な林道の上道は悪く距離も長い、さらには通行止めだ。仮にあいつらが襲撃を考えても、首相達の方が先に東照宮についてしまう」

「でも、首相達が途中で休憩したら?」

 遠峰が笑った。

「ハハハ、そんな予定は無いよ。今頃イロハ坂を下り始めている頃・・・・・」

 植野山警視が手で制止した。

「遠峰君、一応確認をとってみたまえ」

「スケジュール通りだと思いますが」

 遠峰は半信半疑で交信していたが急に大声を出した。

「けっ、警視!首相達途中で休憩してます」

「なんだと!」

 植野山警視も驚きを隠せ無かった。

「大統領夫人が途中で休憩したいと言い出し、今中禅寺湖畔の金谷ホテルでチーズケーキ食ってるそうです」

「予定外だ!小田代原見学中に変更になったのか?」

 光也が言った。

「叔父さん、急ごうよ。いまのうちに首相達より先にイロハ坂を下りよう」

「ちくしょう、警察より犯人の方が情報が早いなんて」

「うーむ。警察無線が盗聴されているかのか、それとも・・・・・・」

「警視、東照宮近辺の警備に連絡をとって・・・・」

 警視は首を横に振った。

「遠峰君、無線のスイッチを切るんだ。無線が盗聴されているかもしれん。へたな連絡をとってみろ、みんな筒抜けだ」

「周波数を変れば大丈夫だと思いますが」

「いや、テストしている時間は無い。私たちだけで向かうんだ」

「でも警視、我々の無線はデジタル変調してありますからいくらなんでも解読不可能ですよ」

「しかし、現にあいつら警備の裏をかいている。油断は禁物だ」

 じっとしていた登美子が言った。

「わたしの携帯使ったら」

「携帯の電波なら簡単に傍受してしまうよ」

 光也が言った。

 遠峰は小田代原のゲートを抜けると猛然と走りだした。

 竜頭滝を過ぎ中禅寺湖畔の金谷ホテル前を通り過ぎる。

 遠峰は運転しながら横目で金谷ホテルをちらっと見た。

「警視、どうせまたさっきみたいな奴らが襲って来るんでしょうか?アルバイト気分みたいな」

「わからん、ただ竜頭滝にいたカンフー野郎は只者じゃなかったからな」

 光也が言った。

「叔父さん、この辺からならサイレン鳴らして一気に走れば早いとおもうけど」

「わたしもそうしたいのだか、そうすると他の警官達に気付かれてう」

 車は旅館や土産物屋が並ぶ中禅寺湖沿いの道を走る。途中の検問では細かいことは言わずにやり過ごした。

 遠峰刑事はニヤッとして言った。

「警視、もう少し待って下さい。絶対間に合うようにしてみせますから」

 華厳の滝を過ぎ下り専用の第一イロハ坂に入った。

「光也君、登美子さんしっかりシートベルト締めて。警視もよくつかまってて下さいよ」

 遠峰はいきなりギアをシフトダウンすると、アクセルを床まで踏んづけた。タコメーターの針が踊り上がり、旧式クラウンは猛然とダッシュした。シフトチェンジ。

 スピードが三桁に達する。目の前にあっと言う間にコーナーが現れた。

フォン、フォーン

 遠峰は右足で素早くヒール&トウを使いシフトダウンすると猛スピードのまま右コーナーに突っ込んで行った。

「ひぇーっ!」

 強烈な横Gが全員にかかる。遠峰はステアリングを戻すとまたアクセル全開。物凄い勢いで次のカーブに飛び込んでいく。タイヤが嫌な音をたてる。

「とっ、遠峰くん」

「ウーン、ギア比がイロハにはちょっとあわないな」

「もう少し、なんとかならんかね」

 ヘッドレストに頭をしたたかぶつけた植野山警視は言った。

「警視、サスはハードタイプに、タイヤもハイグリップの50タイヤに変えてありますから安心して下さい」

「いや、そのもうちょっとお手柔らかに」

「今度はエンジンにも手を入れよう。チタンバルブに変えてカムシャフトを高回転タイプにして圧縮比上げて」

 遠峰の目がすわっている。植野山警視ははっきりいって恐かった。

グォーン、ゴー。フォン、フォン。ギッ、ギャーッ

 イロハの下りはけっこう路面が荒れていた。そこをすごいスピートで駆け抜けていく。車が激しく上下に揺れる。ガートーレールの向こうは断崖。その先に青空が見える。落ちたら下まで真逆様。

「おっ、叔父さん!」

「光也、じっと我慢だ」

「でっ、でも」

「大丈夫・・・と思う・・・」

 とは言ったものの、植野山警視も不安だった。遠峰刑事の運転は慎重さが取り柄と思っていたのだが。最近どうも車がゴツゴツするような気がすると思っていたらこいつがいじっていたのか。

 早朝で他の車はほとんど走っていなかった。たまにいてもすごい勢いで、ヘッドライトを点けたボロい車が走ってくるものだからみんな端に避けた。

 上りと違い道幅が狭く、カーブも急だから真ん中を走られると追い抜くのは難しい。

「やっぱり、イロハはハチロクだよな」

「なにそれ?」

 光也は体を支えるのに苦労しながら聞いた。

「峠走ると非常に楽しいクルマのことさ」

「そ・・・・・・そう」

「警視、警察車両も高機だけじゃなくて一般用にもチューンドマシンを用意して欲しいです」

 遠峰は余裕があるのかカーブの最中にも喋っている。

「あっ、ああ・・・・・・」

 植野山警視は適当に返事した。

 イロハの文字が書かれた看板の文字を読む間もなく、遠峰の操る車は急坂を走っていった。

 たまらず登美子も口を出した。

「刑事さん。この辺猿が出ますから気をつけて」

「ありがとう。登美子さん僕頑張ります」

 完全に勘違いをしていた。車はさらに加速する。路面の荒れた箇所を通過するたびサイドウインドウのピラー部分からミシミシと嫌な音がした。

「うーん、足まわりを固めた分ボデイ剛性が不足しているな・・・・・・ロールバーも必要だ」

「遠峰君、そんなものいらんから安全に走ってくれ」

「警視、僕は常に安全運転ですから」

 植野山警視はお手上げ状態。

 遠峰は左手で素早くシフトチェンジして次のコーナーに突っ込んで行く。

 後輪が横Gに耐えられずアウト側に流れだした。遠峰はカウンターをあて車の向きを修正してコーナーを抜けていく。

 遠峰の操る旧々型クラウンは山々の静けさを破り疾風のごとくイロハ坂を駈け下りる。

 前方に走り屋らしきマシンが走っていた。旧型RXー7だった。リヤウインドウに走り屋雑誌のステッカーが貼ってある。遠峰の車に気付いたのか急にスピードを上げ始めた。

「遠峰君、前を走っている車は君に挑戦されたと思っているようだな」

「ええ」

「危険ではないかね」

「このままでは一般車を巻き込む可能性もあります」

「スピードをいったん落として関係無いことを報せよう」

「いえ、警視。こういう場合の対処方はですね」

「対処方は?」

 遠峰は凄まじい加速を始めた。たちまち追い付く。

「完全な実力の差を見せつけることです」

 旧型RXー7はアウトインアウトのラインでコーナーを綺麗に抜けていく。けっこうイロハを走り込んでいるようだ。フロントタイヤはコーナーでの走りを優先させるセッティングネガキャン%チ有のハの字型をしている。

 遠峰はコーナーが迫ってくるのに全く減速をしない。急な左コーナーが眼前に来たときフルブレーキとシフトダウンを始めた。同時にステアリングを切り始める。車はタイヤを軋ませ四輪が外に流れていく。

 暴れる車をねじ伏せるように、遠峰はアクセルを踏ん付けた。四輪ドリフト状態からRXー7をあっさりぶち抜く。そのまま次のコーナーも同じように四輪ドリフトでクリアした。

 遠峰の車のスピードが速すぎるのか、それともRXー7は実力の差がわかったのか追ってこなかった。たちまちルームミラーから消えた。

「警視、これで大丈夫です」

 警視は必死にグリップにつかまっていた。

「あー、恐ろしい」

「警視、あとカーブ一つでイロハ坂は終わりです」

 遠峰の操る車はん≠フ文字の看板を過ぎた。犯行グループが襲撃を企てている場所に向かって走った。

つづく

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