決闘!小田代ヶ原


最終話

サイトウ
   

 

覚醒剤うたずに拳銃撃とう=@

「なんだい、こりゃ」

「警視、これなんかすごいですよ」

 選考委員の一人が手にしていた紙を読み上げた。 

覚醒剤より盆踊り ハイな気分になりましょう。アッ、ソレッ  、ソレッ=@ 

「これはどうです」

シャブ射つな、ハエが手をする足をする=@

「うーむ・・・・・・」

 植野山警視は『覚醒剤撲滅キャンペーン』の標語選びに四苦八苦していた。 

「標語がたくさん集まってきたのは非常に嬉しいが理解に苦しむのもあるな」

「そりゃあこれだけあれば、しょうもないのもたくさん混じってますよ」

 同じく選考委員の一人が、山積みの段ボール箱をアゴで指し示した。

 植野山警視はうんざりして次の標語に目を通した。 

注射一秒ヤク一生

麻薬撲滅は一日にしてならず

シャブうてば檻が閉まるよ拘留所

誘惑に負けるなシャブ中そこに有り

たわむれにヤクを用いてそのあまりめまいをおこして三歩あゆまず=@

「うーんわたしの方がめまいを起こしそうだ」

 植野山警視はうんざりして窓をぼんやり見た。

 ノックの音がした。

「失礼します。植野山警視」

 婦警がドアの所で呼んだ。

「ん、何かね」

「北井光也さんという方が面会に来ております」

「光也か。すぐ行くから、下の開いている部屋に待たせておいてくれ」

 警視はグッドタイミングとばかりに退屈な仕事を抜け出し光也のいる部屋に向かった。

「光也君、こんにちは」

「叔父さん、忙しい所すみません」

「いや、いいんだ」

「遠峰さんから聞いたけど、何か標語の選考で大変なんでしょ」

「なに、平気だよ」

 本当は退屈過ぎて大変なのさ、と警視は危うく口を滑らせそうになった。

「ところで何だね。わざわざここまで出かけてくるなんて」

「あの例の日光でのことなんだけど」

 光也は橋本田首相襲撃未遂事件でずっと気になっていることを話した。

「例の竜頭滝に犯人が残していったカメラからはなんにも手がかりは出てこなかったの?」

「カンフー男の指紋しか発見出来なかった」

「三脚とかカメラバッグからも?」

「そうだ」

「あのカメラに入ってたフィルムのパトローネ、テープの貼ってあった所はどうなってたの。テープの粘着面とかに指紋残ってなかった?」

「んー、ちょっと待ってろ」

 植野山警視は席を立って部屋を出ていった。少しして何かファイルを持ってきた。

「ここに調査結果が出ている。なになに、カメラは製造ロットナンバーから新宿で売られたもの。今のところ該当する盗難届けは出ていない。・・・・・・そして指紋は・・・・・・・んっ、テープ付きフィルムパトローネはまだ調査中となっているな。・・・・・・明日には結果が出る予定だ」

「ずいぶん時間がかかるんだね」

「現像を先に行なったためらしい、フィルムにはたいしたものは写ってなかったそうだ」

「明日か・・・・・・」

「まあ、そういう時もある」

 光也はもう一つ質問した。

「あのファインダーに視度調整レンズが付けてあったと思うけどあれは・・・」

「えーっと・・・」

 植野山警視はファイルをめくった。

「遠視用だそうだ。つまり老眼だね」

「やっぱり」

 あのカンフー男の持ち物でないのは確かだ。盗難の可能性もないとは言えないが、この事件の首謀者が準備したものに間違いなさそうだ。光也は自分の推理が少しづつ形になっていくのを確信した。

「叔父さん、ついでにこれも調べて欲しいんだ」

 光也はポケットから何か取り出した。レンズにつける保護用フィルターだった。

「これは?」

 植野山警視は手にとって光にかざして見た。

「犯人。首謀者に結びつく手がかりさ」

「?」

 光也は植野山警視に手渡すと急いで家に帰った。

 

 

 翌日。植野山警視から電話があった。

「光也君、君の持ってきた物はどうやら今回の事件においてかなり重要なもののようだ」

 警視の声はやや興奮していた。

「そうでしょ」

「入手経路とか、もう少し詳しく知りたいのだが」

「叔父さん、そこで相談だけど。今度の土日に俺日光に行くの話たっけ?」

「ああ、なんでもつまらない約束で写真の勝負するんだったな」

「ちょっとしたなりゆきでそうなっちゃったんだよ」

「ほう」

「でねその時叔父さん達にも会場に来て欲しいんだよ」

「何故かね」

「犯人がわかるからさ」

「ええっ?」

 植野山警視は半信半疑だった。

「本当だよ」

「今すぐじゃだめなのかね」

「まだ、証拠が足りないんだ」

「光也くん、もったいぶってないで知っていることを全部話給え。捜査に協力するのが市民の務めだ」

「でもまだ推測なんだけど」

 光也は警視に今時点の推理を話した。

「うーむ・・・・・・」

 植野山警視はじっと考えた。

「確かにつじつまは合うがそれだけでは動機も証拠も不十分だ。なんともいえんな」

「そうでしょ、それで叔父さんに日光に来て欲しいんだ」

「・・・・・・」

「その会場でなら絶対だよ」

「しかし・・・・・・」

「時間は土曜日の十一時からだから、そんなに手間はかから無いと思うよ」

「都合つくかな」

「叔父さんの協力がなければ絶対無理なんだ」

「うーむ」

 植野山警視は電話の向こうで考えていた。

「よし、わかった。遠峰君とスケジュールを調整していくことにしよう」

 光也は警視に調査して欲しいことをいくつか依頼した。

「叔父さん、ありがとう」

「光也くん、日光で会おう」

 植野山警視は電話を切った。これで退屈な選考委員の仕事を抜ける絶好の口実が出来たと思うと自然に笑いがこぼれた。

「この前は駄目だったが、今度は犯人つかまえてゆっくり日光でくつろぐぞー」

  

 

 光也は続いて新日本写真家協会の木村に電話した。

「木村さんですか。北井光也です」

「北井君か、どうだね。写真品評会の準備は」

「ええ、おかげさまで。後はラボから作品が上がってくるのを待つばかりです」

「おお、それは良かった。会場の準備も既にほとんど出来上がっているよ。当日は道路の混雑も予想されるから時間に遅れないように余裕を持って来てくれ給え」

「ありがとうございます。ついでといっては何ですが、お願いがあります」

「何でしょう?」

「当日はその『奥日光の彩景展』ということで、木村さんの所属する日光支部の方の写真を展示するわけですよね」

「そうだよ、新日写連他の厚意で初日には君もびっくりするような写真家の方々を招待しているよ」

「あの、それで作品はその時見ることができますが、機材も今後の参考のため是非見たいのですよ」

「と言うと?」

「出来れば作品を展示する方にはいつも使っている機材を持ってきて欲しいのです」

「えっ」

「実際にカメラをどう操作している撮影しているのか知りたいのです」

「写真を見れはある程度わかるし、機材については直接本人に聞いてもらっても構わないが」 

「中判とかをこれから始めるのに、やはり実際に操作しているところをちょっとでも見たいのです」

「けっこうな量になるよ」

「もちろん300ミリとかがさばるレンズ、三脚はいりません。どんなカメラやアクセサリーを使っているのかがわかるだけでいいのです」

「みんななんていうかな」 

「うーん・・・・・・それでは、持ってこられる人だけで構いません。でもあの三人組とえーと中谷さん、それに木村さんは是非持ってきて欲しいのです」

「あの日小田代原に居合わせた人達ということかい」

「そうです。変なお願いですみませんがわからないことを解決したいのです」

 木村は一人で納得したようだった。

「わかった、承知しよう。これから本格的に風景写真を始めるのであれば、君もいろいろ知りたいことがあるだろう。私から話しておくようにする」

「ありがとうございます」

 光也は電話を切った。

「さて、後は日光に行って写真の勝負をするばかりだ。そして橋本田首相襲撃未遂事件の首謀者をはっきりさせてやる」

  

 

 光也と登美子は日光光徳牧場にあるホテル光徳≠ノいた。

 駐車場に車を止め会場の美術館に向かった。

「ねえ、光也どう?少しは似合ってるとか言ってくれてもいいんじゃない」

 登美子はちょっとフォーマルな格好をしていた。光也はいつも通りのラフな格好。

「別に俺達が主役で個展開くわけじゃないし、おしゃれしたって仕方ないさ」

「光也のバカ」

 登美子が光也の腕をつねった。

「イテテッ、ごめん・・・・・・登美ちゃんいつもとはうって変わった美しさだよ」

「そう?ホホホッ」

 登美子はニッコリした。確かにそれなりに綺麗だったが、この前ペンションで見た寝起きの遮光器土偶みたいな顔を思い出し、光也は笑いをこらえるのに一苦労だった。

 会場は光也の想像を超えた広さで気品あるムードを保っていた。

 白で統一した展示スペースにはパネル張りの作品が全倍、全紙、半切の大きさで展示されていた。初日のせいか正装している人も多く光也は自分が浮いているのを感じた。

「まるで有名写真家の個展のような雰囲気だな」

 光也は所在なげにうろうろしていた。写真をざっと見回した。

 ミツバツツジが咲く春の竜頭滝、水面にズミの花を映した新緑の光徳沼、レンゲツツジの咲き乱れる夜明けの戦場ヶ原。四季の移ろいゆく風景が会場中に広がっていた。すごいハイレベルだ。

「これが、新日本写真家協会に入っている人達の実力か・・・・・・」

 光也は圧倒される思いだった。二、三回日光に来たくらいではとうてい撮れない写真ばかりだった。

 光也は会場の隅の方を見た。見知った顔があった。窓際のソファーにいる老人を見つけ寄っていった。

「秋山さん」

「おう、君か」

 秋山老人は光也の方を向いた。老人はジャケットを着ていた。相変わらず飄々とした雰囲気を持っている。

「おじいさん、写真持ってきました」

「ご苦労じゃったな、どれさっそく見せてくれ」

 光也はケースから四切りサイズの写真を少しためらいながら取り出した。

「あのー、送ったサービスサイズのダイレクトプリント、どんな感じでした。

「あ?ああ」

 なんか頼りない返事だった。光也は会場の作品について言った。

「みんなすごいレベルですね・・・・・・俺こういうとこ来るの初めてだから」

 老人は言った。

「なに、別に気にすることは無い。うまいやつも確かにおるがそんなのは一握りじゃ。後はただの物真似ばかりじゃわい」

 秋山老人は光也のダイレクトプリントを次々に見た。そして目を細めた。

「うむ、こんなもんじゃろう」

 光也は恐る恐る聞いた。

「あのー、こんなもんで大丈夫でしょうか」

「まあな」

 その言葉に光也はとりあえずほっとした。

「光也、あれ」

 登美子が光也を肘でつついた。入り口に例の三人が現れた。吉田、田口、伊藤だった。三人とも似合わないスーツ姿だった。肩からカメラバッグを下げている。木村氏の連絡が届いたらしい。

 展示してある写真を見ながら三人で何か話始めた。少なくとも感心している態度ではなかった。どちらかというとアラを探して喜んでいるといった感じ。だんだん近づいてきた。パンチ頭の吉田が光也に気づいた。そばに寄ってきた。

「おや、これはこれは、北井君。てっきり欠席かと思ったらやって来るなんてご苦労なことだね」

「それとも辞退しますって言いに来たのかい?」

 田口が続けていった。相変わらず性格が顔にでるタイプだ。秋山のじいさんは全く意に介さず言った。

「おぬしらもわざわざ恥をかきにくるとは面の皮が厚いのう」

「なんだと!」

 また危ない雰囲気になりかけた。

「まあまあ、みなさん」

 後ろから割って入った人がいた。

「今日は作品で勝負しましょう」

 木村だった。後ろには中谷が立っていた。

「写真展初日でこれから来賓がたくさん見えます。みなさんはこちらにお願いします」

 木村は光也に寄って言った。

「光也くん、機材の件はOKだよ」

 一同は会場内から続いている別室に移動した。テーブルと椅子が置いてありちょっとした打合せに使う部屋のようだった。

 光也は登美子に小声で言った。

「絶対このじいさんトラブルメーカーだぜ」

 作りの良い椅子に光也達は腰掛けた。吉田は窓辺でタバコを吸い出した。秋山老人はわざと大げさに咳をした。

「ウーゲホゲホッ、あー煙い。タバコは体に悪いぞ」

 吉田は煙を吐き出した。

「うるさいなあ、別にここ禁煙じゃねえからいいじゃねえか」

「禁煙だぞ」

 老人がアゴで壁の貼り紙を指し示した。禁煙の文字。

「うっ・・・・・」

 さすがに吉田はむっつりた顔で火を消した。

 その間にも写真家協会のメンバーらしき人たちが何人も入ってきて、後ろの方に集まりだした。

 おもむろにドアが開いた。

「みなさん、今回特別に審査していただく先生方です」

 木村に続いてひとが入ってきた。

 最初に入ってきたのは頭に赤いバンダナを巻いた壮年の男性だった。光也はあっと声をあげそうになった。

 竹内敏春だった。日本の原風景を求め風景写真に新境地を切り開いたとして今人気絶頂の写真家だった。

 続いて入ってきたのは女性だった。二十代前半。光也の知っている顔、宮原香だ。美形若手女流写真家として売出中。テレビの写真入門講座などにもよく登場していた。ポートレートが得意だったが、最近風景写真にも興味を示している。

 今度は外人。髭面の太った体型。ジョニーヒメマスだった。独特のソフトフォーカスを駆使したノスタルジックな作風は、田舎や棚田を撮ると日本人以上に叙情的であり人気が高かった。

 次は五十代の男性、もじゃもじゃ頭。三輪轍だ。風景雑誌での撮影技法指導等その活動は幅広い。後は光也の知らない人が入ってきた。年令のよくわからない痩せた老人。和服姿である。どこかで見たことがあるような気がした。

「誰だいあのひょろっとしたじいさん」

 登美子が以外な顔でその老人を見た。

「あの人、種山魁夷だわ。日本画の重鎮と言われている人よ」

 小声で光也に言った。

「日本画の文鎮?」

「バカ、重鎮よ。でもどうしてここに?」

「種山魁夷?俺どこかであったことがあるような気が・・・・・」

「あんた絵の才能ゼロなのにそんなわけないでしょ」

「でも・・・・・・」

 光也は気になったが思い出せなかった。

 いずれにせよそうそうたる面々が入ってきた。さすがに吉田らは緊張しているらしい。ふてぶてしい態度が引っ込んでいた。

 光也は秋山という老人の余裕ぶりが不思議だった。いっこうに意識している様子がない。このじいさん何故このメンバーを見て驚かないのだろう。まるで知り合いみたいに・・・・・・。

 木村が簡単にあいさつした。そして来賓の写真家を紹介した。最後の老人はやはり種山魁夷だった。なんでもここに滞在して作品作りしているので呼んだらしい。物好きなことだと光也は思った。

 来賓代表の挨拶や写真家協会の一連の話が終わりいよいよ光也達の写真を審査する時が来た。

 木村が言った。 

「それでは、みなさん持ってきた写真をここに出して並べてください。そっちから吉田さん、田口さん、そして伊藤さん。こちらに北井さん」

 光也はケースから出して、順に並べた。後ろの方で、秋山のじいさんに小声で何事が話している三輪轍が気になった。

 写真家の面々は話をしたり外を見たりしていた。

「えー、ここに出されました組写真は二週間前の連休三日間に奥日光で撮影した写真、という限定条件がついています」

「ずいぶん変な条件だね」

 竹内が聞いた。

「いや、詳細は後程説明しますがいろいろありまして、ハンデを無くす為です」

 木村が事情を説明し、作品の紹介が始まった。

「では吉田さんから題名と簡単な説明を」

 吉田が説明を始めた。

「題は『彩りの季節』。紅葉の光に輝く様子と澄んだ青空をイメージに空気感をだし・・・・・・」

 吉田の写真は中判の利点を活かした緻密な描写で、空と紅葉をメインに撮ったものだった。逆光で紅葉の鮮やかさを際立たせていた。 

 続いて田口、伊藤が説明をした。田口は竜頭滝や湯滝の紅葉を中心にスローシャッターで撮ったもの。水の流れが幻想的な作品に仕上がっていた。

 伊藤は紅葉する草や葉をボケを活かして接写したものだった。なんとなくネイチャーフォトっぽい。光也は内心彼らのテクニックに驚いていた。フォトコン入選経験有り、はまんざらウソではなさそうだった。

 次は光也の番。

「えーっと題名は『曇天』。曇りの日は晴れた日には見えない陰の部分を見ることが出来ます。これは雨の日の叙情的なものとも異なります」

 写真家達が寄ってきた。ジョニーヒメマスは一枚一枚興味深く見ていくが、竹内敏春はすごいスピードで一瞥して後ろに引っ込んだ。宮原香、三輪轍らは話をしながら何枚かに注意して目を寄せて見ていく。

 日本画の種山魁夷は黙って順に見ていたが一言もしゃべらなかった。光也が思っていた程時間はかからず、わずかの間にみんな席に戻った。

「みなさん、もういいですか」

「ああ、いいよ」

 竹内敏春が代表して答えた。

「それでは、この中で優れているのは誰の作品でしょう」

「木村さん、あなたの思っている通りだよ」

「えっ?」

 木村は狼狽した。

「そう、私等は全員同じだ」

「そうですか・・・・・・」

 木村に全員の目が集まっていた。

「では、私はこの人に・・・・・・」

 木村は指差した。光也の写真だった。

「えっ?俺の」

「そう、君のだ」

 竹内が言った。

「全員、北井光也君の作品を選んだ」

「ちょっと待った」

 田口が言った。

「はっきりした理由を聞いてからでなければ納得出来ない」

「そうだ」

 吉田、伊藤も立ち上がっていた。不満がありありとその表情に浮かんでいた。

「では選んだ理由を説明していただきます」

 木村が審査員の方を向いた。

「私が代表して説明しましょう」

 三輪轍が立ち上がった。ボサボサの頭をかきながらテーブルの写真を示した。

「北井光也さんの写真を何故全員が優れているかと言うと、それは着眼点≠ナす」

「・・・・・・」

「吉田さんや田口さん、伊藤さんの写真は確かにうまい、一定のレベルは超えている。しかし組写真としては失格だ」

「なぜ」

 田口が口を挟もうとした。三輪は続けた。

「僕は雑誌のコンテストの選定とかで常ににかなりの枚数、数千点の写真を毎回審査しています。たとえば、『風景写真』とかに送られてくる作品のレベルは非常に高い。撮影技術も大半の人はかなりの技量でしょう。ただ個性が弱い、そして想像力も無い」

「でも・・・・・」

 伊藤がなにか言いかけたが三輪轍はかまわず続けた。

「たぶん、君等もなにがしかのコンテストに応募して入選したこともあるだろう。でもそれは単独、つまり一枚ずつの単写真であって組み写真ではないでしょう?」

「そりゃ・・・・・・」

 伊藤が言いよどんだ。

「一枚一枚の写真の出来が良くなければ、組写真だって同じことだろうが」

 吉田も感情が顔に出ていた。三輪は冷静だった。

「あなた達三人の作品を拝見していると、どこかで見たような構図のものがほとんどだ。まして組写真とは一つのテーマを決めそれに沿った作品作りが要求される。あなた達のものは一枚一枚の出来はいいがバラバラだ。作品どうしが足の引っ張り合いをしている。それと新しいことに挑戦しようという前向きさが伝わってこない」

「うっ・・・・・・」

「対する光也君の作品だが、理由はどうあれ曇天を活かして個性的な作品作りをしている。着眼点が斬新だ。また組写真として一貫性を保っている。技術的にはまだ不十分なところが多々あるがそれを差し引いても、今回の中では一番だ」

 三人はじっと三輪轍の話しを聞いていた。吉田がふてくされたような顔で言った。

「つまり組写真のやり方と年令差のハンデで負けたってことか」

「それと、技術的なことをいわせてもらいましょう」

 三輪は続けた。

「吉田さんと田口さん、あなたがたは中判ですね。フォーマットの大きさを利用しているのはいいですが。田口さん、ずいぶんトリミングしてますね」

「そりゃ、多少は」

「いえ、この作品なんかフィルムは微粒子のベルビアのはずなのに粒子がかなり荒れています。四切りでこれだけ荒れるというのは横位置で撮影したものを縦位置に変更するくらい部分的にトリミングしている証拠です」

「・・・・・・」

 二人は黙りこんだ。

「中判とはいえやはり基本は撮影の時のフレーミングです。引き伸ばしの際のトリミングはあくまでも補助的なものと考えていないと撮影がラフになってしまいます。それと伊藤さん」

「なんだい」

「たぶん、ツァイスのレンズで撮ったと思いますが」

「ああ、そうだよ。やっぱりわかる?」

「ええ、望遠のプラナーを開放で撮るのはフィールドでは難しいでしょう」

「まあね」

「たぶん風の影響と思いますが、ピント位置があなたの狙いと微妙にずれていると思いませんか」

「うっ」

「ピントを慎重に合わせても風で被写体が動いてしまえばピンボケになります」

「そりゃそうだ」

「じゃあ、あなたもこの作品のピント位置に妥協があるのはわかりますね」

「・・・・・・」

 伊藤の作品はどれも接写だった。一見すると完璧に見えたがそうではなかった。

「たとえば、こちらのジョニーさんはソフトフォーカスな作品が多いですがピントのはっきりしないものとの違いは歴然です」

「くっ・・・・・・」

 伊藤は痛い所を突かれて下を向いた。

 三輪は言った。

「まあ、こういった技術的なことはいくらでもこれから上達することができますから。それより自分の視点を研くことを忘れないでください。写真でもなんでも感動する作品というのは、感性に訴えるものです」

 三人は憮然とした表情をしていた。まだ何かいいたげだったが黙っていた。三輪の批評は的確だった。彼らもさすがに名立たる写真家の前で騒ぐのは気が引けたようだ。

 光也はうれしさがまだ実感として湧いてこなかった。

 ドアが開いた。誰か入ってきた。植野山警視と遠峰刑事だった。 遠峰が言った。

「みなさん、お取り込み中の所少し時間をいただき捜査にご協力お願いします」

 会場に緊張が走った。 

「なんだ、警察?」

 吉田らが不審そうな顔で植野山警視と遠峰を見た。

「あの、そちらの来賓の写真家のみなさんはお引き取り頂いて結構です」

 植野山警視が来賓を見回す。種山魁夷と目が合った。

「!」

 植野山警視が動揺するのを見て遠峰が小声で尋ねた。

「警視、何か」

「種山画伯・・・・・」

「種山画伯ってあの日本画の?」

 遠峰がまさかという顔をした」

「いや、ちょっとした顔見知りでね」

「警視が種山画伯と顔見知り?」

 来賓達が出ていった。種山魁夷は植野山警視に目であいさつし出ていった。

「おい、俺達は関係ないだろう」

 吉田が言った。

「そうだ、もう帰るぜ」

「待て、おぬし等も捜査に協力するのじゃ」

 秋山老人が呼び止めた。

「嫌なこった!」

 三人は写真を小脇に抱えて出ていこうとした。

「警察に知れるとまずい事情があるのだろう」

「そんなのあるもんか」

 伊藤が言い返す。

「おぬしら撮影禁止場所から撮ったな」

 老人の一言に三人の足が止まった。

「それも、一回や二回じゃない。さっき見た写真の中にもそういうのがあったぞい」

「・・・・・・」

「さて、国立公園内でそういうことをするとどういう処罰があるか知っているのかい」

「うっ」

「おぬし等の写真、なんならこの刑事さんに見てもらおうか」

「・・・・・・ちっ」

 三人はしぶしぶ元の席に戻った。

「みなさんご協力ありがとうございます」

 植野山警視がその場に残っている光也、登美子、秋山、中谷、と例の三人、そして後ろにいた新写真家協会日光支部の面々を見回した。

 警視は話しを始めた。

「二週間前、A国大統領と橋本田首相が日光を訪れたことはみなさんよくご存じだと思います。またその時竜頭滝、小田代原も見学したことは周知の通りです。そして襲撃未遂事件が発生したことも一部ニュースで流れたので御記憶かと思います。肝心の犯人グループですが実行犯は取り押さえることが出来ましたが、残念ながらまだその仲間及び首謀者が見つかっておりません。その後の捜査により首謀者と思われる人物は地元に詳しい写真愛好家であると判明しております」

 一同に動揺がさざ波のように伝わった。

 遠峰刑事が後を続けた。

「主犯と思われる人物は襲撃事件の前日と当日の朝小田代原にいました」

「まさかこの中に関係ある奴がいるなんて言わないよな」

 吉田が冗談ぽく言った。

「いいえ、この中に主犯はいます」

「ええっ?」

 一同驚きの声をあげた。ざわめきが広がった。

「何百人もの人が小田代原で撮影をしていますし、それにここに集まった以外にも奥日光に詳しい人は何人もいるはずですが」

 木村が整然と答えた。彼の所属する日光支部が被疑の対象になったているのだ。静かな口調とは裏腹に力がこもっていた。遠峰は続けた。

「犯人は警察の行動を察知すべく盗聴も行なっていました。つまり無線に詳しく当日我々の動きを常時把握出来た人物です。それと事件前日、竜頭滝で不審人物が逃走の際に残した遺留品から、我々は決定的証拠を発見しました。

「証拠?」

「カメラを残していったのです」

「カメラに指紋でもついていたのかい」

 田口が聞いた 

「いいえ」

「中に入っているフィルムのパトローネにテープが貼ってありました」

「テープ?」

「写真好きのみなさんに説明は不要ですので省略しますが、ここでみなさんのカメラと使っているフィルムを見せて頂ければ犯人はわかります」

「それこそフィルムのDXコードをテープで隠して使っている奴なんて、ここにいる以外にたくさんいるのではないかね」

 木村が言った。

「それともそこまで言い切る確かな証拠があがっているのかね」

 冷静な木村も自分の仲間が疑われていることに、怒りを押さえられなくなったようだ。

 遠峰は言った。

「テープの裏に指紋が残っていました」

「!」

「そしてその指紋の持ち主がこの中にいるのです」

「調べないうちからわかるのか」

 吉田が叫んだ。後ろの会員も何人か同調した。

 植野山警視が言った。

「それでみなさんの協力が必要なんです。手持ちのバッグを開けてカメラとフィルムを見せて下さい」

 木村は左の頬をヒクヒクさせながら会員に向かって言った。

「仕方ありません、潔白を証明するために見せてあげて下さい。

 遠峰が光也に近付いてきて耳打ちした。

「別の機材にすり替えていたらどうする?」

「遠峰さん、平気だよ。たぶん」

「たぶん?」

 遠峰は光也の仕組んだ筋書き通りにことが進むのか不安でしょうが無かった。ここからが正念場だ。

「ほらよ、俺のから見てくれ」

 吉田はペンタックス6×7をバッグから取り出した。

「フィルムはブローニーだし露出はスポットメーター使ってるし。テープ貼るなんてするわけねーだろ」

 田口もマミヤRB67を出した。同じくブローニー。テープの必要は無かった。

 伊藤はコンタックス。フィルムにテープは貼って無かった。

「そんな姑息な手を使わなくてもツァイスレンズの描写力は不変さ。もっともポートレート撮るときベルビアの感度はISO32に設定してるけどね」

 会員達もカメラを出し始めた。光也もなに食わぬ顔でカメラを出した。カメラを出していないのは木村だけになった。

「木村さん、カメラは」

 木村はカメラをやっと出した。ニコンとキャノンのAF一眼レフだった。続けてフィルムを取り出した。フィルムはフジクロームプロビア。テープは貼ってなかった。

 木村は言った。

「残念ながらこの中にはいないようですね。刑事さん気が済みましたか」

 光也は遠峰を見た。遠峰はあわてず続けた。

「木村さん、いつもメーカーの異なるカメラを複数お使いになられるそうですね」

「はい、個性あるレンズを使ってみたいと思うとどうしてもメーカーの異なるボディを揃えなければならないのです」

 遠峰は言った。 

「どうして今日はフィルムにテープを貼っていないのですか」

 カメラをしまおうとした木村の手が止まった。 

「なぜ、そんなことを聞く」

「あなたが複数のカメラを使用するとき、誤操作を避けるためテープを貼ることを我々は調べてあるのです」

「うっ・・・・・・」

「木村さん、テープ使ってたんですね」

「・・・・そうさ。そんなに珍しいことでは無い」

 木村はさっさとカメラをバッグに入れ始めた。

「調べればあなたのものかどうかすぐにわかります」

 遠峰は木村に近づいた。

「フィルムをお借りしますよ」

 遠峰がフィルムに手を伸ばそうとした。

「くそっ!」

 いきなり木村は遠峰目がけてカメラを投げつけた。

「あっ、何をする」

 木村はいきなり近くにいた登美子を襲った。

「キャーッ」 

 登美子の腕をつかむと無理やり逃げ出した。

「しまった」

「登美ちゃんが!」

 遠峰は追いかけようとした。たちまち妨害が入った。中谷だった。他にもいる。やはり会員の中に犯行に加わった仲間が混じっていた。

「邪魔するな!」

 遠峰は振り払おうとした。足にしがみついて離れない。木村は嫌がる登美子を引っ張っていく。会場は騒然となった。イスが倒れ誰かがひっくり返った。悲鳴。

「待てっ!」

 遠峰が叫んだ。ようやく中谷を振り切り追いかける。

「逃がすか、一網打尽にしてやる」

 植野山警視も追う。

 美術館の外に逃げ出した木村と仲間らを追って遠峰、植野山警視そして光也は追いかけた。

「何するの!離してよ」

 登美子は顔を引っ掻いて逃げようした。

「おい、おとなしくしろ!こいつが見えないのか」

「ひっ!」

 木村の手にいつしか大型のサバイバルナイフが握られていた。不気味な笑みを浮かべ登美子を無理やり連れていく。

  

 

 種山魁夷は中庭にいた。

 噴水のある池の前で石に座りスケッチをしていた。紅葉が石畳の歩道に落ちていく。秋ののどかな木漏れ陽が地面にちらちらと模様を描いていた。

 魁夷は何やら美術館のほうが騒がしいのに気づいた。

「何事・・・・・・」

 登美子を人質に取った木村らは駐車場にいくため中庭を突っ切ろうとした。そして人がいるのに気づいた。

 種山魁夷は立ち上がると道の真ん中に立った。

 後ろを気にして走っていた木村は魁夷に気づいて立ち止まった。

 「しじい、邪魔だっ。どけ!」

 木村が怒鳴った。

「そのお嬢さんを離しなさい」

 静かに魁夷は言った。 

「うるせー」

「・・・・・・」

 魁夷は動かなかった。

「とっとと失せろっ!」

 体の大きな男が魁夷に殴りかかった。

「うわっ」

 男は魁夷が何もしないのに無様に地面に転がった。

「ふざけやがって」

 別な男が飛びかかった。息つくひまもなくそいつは頭から地面に突っ込んだ。

「こっ、こいつ・・・・・」

 目の前に立っているのが、ただの老人でないことに気がついた木村はサバイバルナイフを魁夷に向けた。

「これでも食らえっ!」

 木村の動きは素早かった。風を切る音とともにサバイバルナイフが老人の首筋に伸びた。

 登美子は老人が切られたと思い目をつぶった。

「ううっ」

 恐る恐る登美子は目を開いた。そこに見たのはナイフを落として手を押さえている木村と、右手に筆を持ち静かに立っている老人だった。うめき声は木村のものだった。

「木村待てーっ!」

 遠峰の姿が見えた。こっちに走ってくる。

「くそっっ、逃げろ」

 木村らは登美子をそこに残したまま走り去った。

「けがは無いかな」

 魁夷は登美子に言った。

「はい」

 登美子は緊張のため顔が青ざめていた。

「おじいさん、ありがとうございます」

 遠峰が追い付いた。植野山警視、光也もやってきた。

「種山画伯、おけがは・・・・・」

 植野山警視が言おうとした。

「何をしておる。賊は向こうじゃ早く行け」

「は、はい」

 植野山警視はあわてて後を追った。

「わたしも行きます」

 登美子もいっしょに走りだした。

 駐車場からすごい勢いでトヨタランドクルーザーが走りだしてきた。段差をものともせず道路に躍りだした。

 続いて遠峰の運転する旧型クラウンが段差は超えられないので迂回して追い掛けた。

「やつら中禅寺湖方面に向かってます」

「竜頭滝駐車場に県警を待機させている。彼らに道路を封鎖してもらおう」

 植野山警視はさっそく連絡を取った。

「叔父さんあのランクル、他にも誰か乗ってるよ」

 光也が言った。

「例のカンフー野郎の仲間だろう」

「大日本帝国拳法の?」

「たぶんな」

「それに、まだ捜査中だがさっきいた中谷って男、かなり無線に詳しいらしい。ただのマニアの粋を超えているそうだ」

「木村と中谷らが画策し、行動を起こすのが例の拳法道場ってことですかね」

 遠峰がつけ加えた。

「うむ」

「警視、やっぱり捜査令状で木村を連行した方が確実だったのではないでしょうか」

 遠峰が言った。

「いや、それでは仲間を取り逃がしてしまう可能性がある。ここで一気に勝負に出る、そして全員逮捕だ!」

「登美ちゃん、大丈夫だった」

「ええ、画家のおじいさんがいなかったら、まだ人質のままだったわ」

「警視」

 遠峰が聞いた。

「種山画伯って何物ですか」

「ん・・・・・・」

「何かありそうな・・・・」

「そのうち教えてやるよ」

 戦場ヶ原をランクルはすごいスピードで走っていく。サイレンを鳴らして遠峰も追い掛けるが車が多くなかなか接近出来なかった。赤沼茶屋を過ぎた。前方からもサイレンが聞こえてきた。パトカーが道を塞いでいる。

「袋のネズミとはこのことだ」

 ランクルが急に右折した。小田代原に向かう林道だった。

「ゲートがあって入れないぞ!どうする気だ」

 自動ゲートになっていて簡単には入れない。かまわずランクルは巨体にものいわせ強引に体当たりした。頑丈なゲートが針金のようにひん曲がった。エンジンをうならせ、マフラーから黒煙を出し乗り越えていく。

「あっ、あんな頑丈なゲートを」

 光也が驚く。

「追えっ、逃がしてなるものか」

 警視が声を大きくした。

「みんなよくつかまってて」

 覚悟を決めた遠峰はすごいスピードで曲がったゲートに突っ込んだ。

ガリガリゴギッ、ギギッ

 下回りをぶつける嫌な音を発して乗り越えた。

「やった」

「それっ、追いかけろっ」

 下回りから異音がしている。

「あーあせっかく組んだ足回りがボロボロだ」

「遠峰君、車は元に戻すのだぞ」

「・・・・・・はい」

 ランクルは逃走を続けた。

「あいつらどこ行くつもりでしょう」

「千住が浜にモーターボートかなんか隠してあるんだよ」

 光也が遠峰の問いに答えた。

「むむっ、そうなるとやっかいだな」

 植野山警視が困った顔になった。

「その前に捕まえるぞ!」

「どうやって」

 光也が遠峰に聞く。

「僕にまかせて下さい」

 登美子は後ろから恐る恐る遠峰刑事の顔をのぞき込んだ。遠峰の目が輝いている。

 登美子は恐さのあまり光也の腕をしっかりとつかんだ。

 遠峰はいきなりシフトダウンするとアクセルを踏んづけた。急加速しランクルに猛追した。

 後ろについて様子をうかがう。ランクルは二トンを超える大きな車体にものをいわせて林道の真ん中を走っていく。

「遠峰君、こままでは前に出るのは無理じゃないかね」

「警視もそう思いますか」

「道の両側は草地のようだが入ったらたちまち動けなくなってしまうぞ」

「向こうはヘビーデューティな四駆、こっちはただのFRセダンだし」

「あいつら止まるわけ無いよね。何か方法ないの」

 光也も気がきでない

「僕が止めます」

 遠峰がきっぱり言った。

「みんなよくつかまっていて下さい」

「何をするんだ」

「体当たりして止めます」

「無茶な、向こうの方がはるかにでかいし重いぞ」

 植野山警視が言い終わらないうちに、遠峰は急加速して草むらに乗り込んだ。右カーブをランクルは曲がっていく。その横っ腹めがけて遠峰は突っ込んだ。

ドガッッッ

「キャーッ!」

 大きな激突音がした。バランスを崩したランクルは枯れ木に乗り上げ横転した。遠峰の車はライトが飛び散った。

 衝撃で変形し、開かなくなったドアを蹴飛ばし遠峰は降りた。旧型クラウンはボンネットから蒸気が吹き出していた。

「みんな無事ですか?」

「なんて荒っぽい・・・・・・光也、登美子さん大丈夫か?」

 植野山警視が外に出た。

「えっ、ええ。なんとか」

 光也が答えた。

 二人は遠峰の車にまた乗ってしまったことに後悔した。

 横転したランクルから五人の男が這い出してきた。小田代原湿原の中に逃げ始めた。遠峰は追いかけた。

「待てっ!」

 白樺の木のあたりで追いついた。

「逃がすものか」

 捕まえようとした遠峰は立ち止まった。

「おいっ!まだ抵抗する気か?」

 木村らは手に手に鉄パイプや木刀を持っていた。

「もう逃げられんぞ。観念したらどうだ」

「あんたらだな、俺の計画をことごとく邪魔しやがったのは」

「やはり、貴様が首相襲撃未遂事件の首謀者か」

 植野山が前に出てきて言った。

「そうとも」

 木村は不敵に笑った。

「あの野郎、カメラが趣味だとかふざけたこと抜かしやがって。裏でさんざん不正取引とかしやがって。賄賂だって受け取ってるに決まってる」

「その件は本庁で調査している。首相が関与したかどうかはまだわからん」

「自然破壊だってしほうだいじゃねえか」

「それを首相だけの責任にするのは間違っているぞ」

 俺達はなんども陳情したさ。自分の政治生命の事しか考えていないあいつは全く聞く耳持たなかったがな。

「・・・・・・」

「そのくせA国には媚へつらいやがって」

「・・・・・・」

「在日A国軍基地にしたってそうだ。首相が出ていけって言えないのなら俺達が国民を代表して代わりに行動するまでだ」

「それが今回の事件の動機か」

「そうさ。わざわざ日光にやってくるって言うじゃないか。チャンス到来だ。写真好きの首相なら小田代原に絶対来ると踏んだわけだ、A国大統領を連れて。そうしたら俺達の予想通りになった。それで仲間を集めたのさ」

「どうやって無線を盗聴した」

「知らないのはあんた達だけだ。いくら周波数を替えようがデジタル変調しようが、そんなの筒抜けだったぜ」

 木村は最初会った時の紳士然とした印象はどこにもなかった。

 植野山が言った。

「どちらにせよ、貴様等の計画はすべて阻止された、もうあきらめろ」

「うるさい!おまえらが邪魔さえしなかったらやつらに一泡ふかしてやることが出来たのだ」

「もう終わったことだ。武器を捨てろ」

「一つだけ聞かせてもらおう」

 木村が言った。

「なんだ」

「どうして俺が怪しいと思った」

「・・・・・・」

「それともただのはったりだったのか」

「違うよ、木村さん」

 答えたのは光也だった。

「まず、犯行当日小田代原にいるあなたを見かけました。仲間に犯行指示を出すには非常に都合がいい」

「小田代原には何十人もいた、誰にもその可能性はあった」

 木村は言った。

 光也は続けた。

「竜頭滝に残されたカメラとフィルムから風景写真に詳しいものが犯行に加わっているらしいことがわかった。そして視度調整レンズが老眼用だった。つまり年配の地元に詳しいものが犯人の中にいるとね」

「そんなやつはいっぱいいる」

「そしてフィルムにテープを貼って使っている。この三つの条件を満たしている人がいた。あなただ」

 光也が言った。

「・・・・・・」

 木村は光也をにらんだ。

「木村さん、あなたはカメラを何台も使っていた。それもメーカーの異なるAF一眼レフを。出会った日と次の日では違うカメラを使っていた。それであなたがフィルムにテープを貼って感度設定を手動で行なっているんじゃないかと思ったんですよ」

「じゃどうしてあのフィルムのテープに残っていた指紋が俺のだとわかったのだ」

「小田代原で初めてあなたに会った日、おじいさんと俺が三人にからまれました。その時、木村さんに落としそうになったカメラを受けとめてもらいましたよね」

「ん!」

「あのとき俺のレンズの保護フィルターにあなたの指紋が付いたんですよ」

 木村の表情がゆがんだ。

「ハハハハッ」

 木村は唐突に笑いだした。

「そういうことだったのか。おまえが協力していたのか。間抜けなこいつらに写真のことはわかるまいと油断したのがいけなかったようだ。どうりで秋山昭次郎が写真勝負をまかせたわけだ」

「ええっ?」

 光也は混乱した。あのハッセルブラッドを持ったじいさんは秋山昭次郎だったのか?

 木村は言った。

「そうさ、カメラを持たせて怪しまれないように下見させたつもりだった。だがそいつは写真は素人だった。まさかカメラを置いてくるとは思わなかった。仲間への指示ミスが原因だ。風景撮影経験の無い者にまかせたのが失敗だった」

「そいつがカンフー男というわけか」

 植野山警視が前に出てきた。

 男らはにじり寄ってきた。いずれも拳法の心得のある、屈強そうな体型をしている。

「遠峰君、光也と登美子さんを連れて下がっていなさい」

「はい」

 遠峰は光也達と木のかげに隠れた。もし銃を使うようなことになれば出番となるがその気配は今のところ無かった。

 植野山警視は男達に囲まれたが意に介す様子もなく言った。

「木村さん、あなたはまちがっている。暴力で解決できる訳はないのだ」

「うるせー、やっちまえ」

 一人が後ろから跳びかかった。植野山の頭めがけて木刀を振り降ろした。植野山は無造作にかわすと男の木刀を奪い取り逆に腕を打った。そして腰を落とし剣先を上げる独特の構えを見せた。

「チェストォーッ」

 警視の口から烈迫の気合いが放たれた。その声に弾かれたように左右から二人が同時に襲いかかってきた。警視が上段から振り降ろす稲妻のような一撃で一人は肩を打たれ昏倒、そのまま横に払った一撃でもう一人は腹をうたれ悶絶した。右手に木刀をさげ何事も無かったように進み出ると逆袈裟に剣をはらった。打たれた男は草むらに倒れて動かない。あっと言う間に木村ひとりになった。

「・・・・・・」

 植野山警視は木村と対峙した。湿原を風が流れていく。

「くそーっ」

 木村はがむしゃらに向かった。植野山が軽く手を打つと鉄パイプを取り落とした。その場にうずくまった。動かない。様子をみていた遠峰らが近づいてきた。

「木村さん・・・・・・」

 光也が声をかけた。

 木村は泣いていた。

「俺は、ただ脅かしてやりたかったんだ。あいつら表向きは自然保護なんて言ってるが結局政治の駆け引きに使うだけなんだ。強い奴の意見には従うくせに。ううっっ」

 小田代原は風が静かに吹いていた。木村の虚しい泣き声が湿原に流れた。パトカーのサイレンが遠くから聞こえてきた。

  

 

 光也達はホテル光徳に戻った。遠峰の車は走行不能になり別なパトカーに送ってもらった。

 二人はロビーのソファーに座っていた。

「光也、遠峰さんの車に乗らずに済んでよかったね」

 登美子がまだ緊張の残る声で言った。

「ほんと、ランクルに突っ込んだ時は死ぬかと思った」

 光也も恐かった。

「何か言ったかい?」

 いつの間にか遠峰が後ろにいた。

「あれっ、遠峰さんもう来たの」

「そう、向こうは県警にまかせた」

「車だめになっちゃったね」

「いや、いいんだ」

「だって、始末書じゃないの」

「この機会に目一杯いじって完璧な峠仕様を目指すんだ」

「・・・・・・」

「余裕があったら四駆も一台欲しいなと思っているのです」

 遠峰は全然懲りていなかった。光也と登美子はあきれた顔で遠峰を見た。

「ところで叔父さんは?」

 光也は言った。

「ああ、あそこで種山画伯となにやら話しているよ」

「光也君」

「なに?」

 遠峰は気になっていたことを聞いた。

「警視と種山画伯ってどういう関係なの?」

「えっ」

「何か知らないかい。どうも知り合いらしいんだけど」

「種山魁夷ってどこかでみたことあるとおもったら、叔父さんが武道習っていた人に似ているんだ」

「武道?」

「うん、詳しくは知らないんだ。叔父さんあんまり話さないんだよ。でもどこか雰囲気が似ているなあ」

「武道ってどんなやつかな、剣道?」

「剣道じゃなくてなんでも古武道とか、介者剣法とか」

「カイシャだって?」

「なんでも戦国時代の鎧を着けて戦った頃からの剣法を受け継いでいるらしいよ」

「?」

「そのことに触れられるのがなんだか嫌みたいでさ、俺ももっと知りたいんだけどね」

「ふーん」

 遠峰は考えた。植野山警視の恐るべき剣の腕前は何か人に知られては困ることがあるはずだ。でなければ警視の性格からして既にみんなが知っていてもおかしくない。種山画伯のことも気になるし・・・・・・。植野山警視についてはわからないことが多くありそうだった。

 遠峰は警視の方を見た。

  

 

 植野山警視は種山魁夷と池のそばにいた。

 赤く色づいた落葉が水面に舞い降りて行く。そのたびに小さな波紋が広がっては消えた。静かだった。

「先程はありがとうございました」

 植野山警視は頭を下げた。

「植野山君、相変わらず忙しいようだね」

「はあ、意外な所でお会いしました。元気そうでなによりです」

「ところで」

「何か」

 種山魁夷は少しして言った。

「弟が逢いたがっていたよ」

「えっ、一刀斎先生が・・・・」

「そう」

「・・・・・・わたしは勝手にやめた身ですから」

「君がいなくなってがっかりしているようだ」

「わたしには向いておりません。とてもそんな・・・・」

「いや、植野山君。君しかおらん」

「でも・・・・・・」

「まあ、そう深く考えることもあるまい。近くに来ることがあったら寄ってはどうかね」

「・・・・・・はい」

 一枚の枯葉が落ちていった。遠くを見つめる魁夷の白髪を風が通り過ぎていった。

 

  

 植野山警視は光也達のいるホテルのロビーにやってきた。

「光也君のおかげで今回はスムーズに解決できたよ」

「いや、それほどでも」

 登美子はまだ興奮さめやらない感じで頬を赤くしていた。

「でもわたしあの木村さんが犯人だったなんて、なんだか信じられないわ。だって最初に小田代原で私達を助けてくれたのよ」

「うーん。そういえば」

 植野山が言った。

「どこかで考え方を間違えてしまったのだと思う。自分の主張が通らないから実力行使じゃまるっきりテロリストだ」

「・・・・・・」

 制服の警官が慌ただしく入ってきた。

「植野山警視、ただいま本庁から連絡が入りました」

「何かね」

「大至急帰ってこいとのことです」

「あれっ、事件が一段落したのもう知っているのかな」

「はい、僕が先程連絡しておきました」

 遠峰が胸をはって言った。

「遠峰くん。どうしてそういうことはやけに早いのだね」

「いえ、だって警視『覚醒剤撲滅キャンペーン』の標語、もう選ばないと間に合いませんよ」

「しまった。せっかく日光でゆっくりしていこうと思ったのに」

 植野山警視は残念そうな顔で言った。

「遠峰君、仕方ない行こう」

「叔父さん、遠峰さん気をつけて」

 登美子が言った。

「光也君、登美子さんごゆっくり」

 植野山警視と遠峰刑事は県警のパトカーで帰っていった。

「叔父さんも忙しい人だなあ」

「光也、事件も解決したしこれでゆっくりできるわね」

「ああ」

「ねえ、わたしお腹すいちゃったわ。何か食べましょうよ」

 登美子は光也の肩にもたれかかった。

 うしろでコホンと咳ばらいが聞こえた。

 登美子があわてて離れた。

「光也君、なんかすごい騒ぎになってしまったのう」

 秋山老人だった。

「あっ、秋山さん」

 秋山は言った。 

「話しは聞いたよ。あの木村が犯人とはのう・・・・・・真面目な男だともっぱら評判だったそうじゃが・・・・・・個展はパーになってしまったな」

「ええ、でもいいんです」

 光也はあまり気にしていなかった。

「あきらめが早いな」

「それより・・・・・」

「ん?」

 光也は秋山の顔をじっとのぞき込んだ。

「おじいさん、秋山昭次郎さんでしょ」

「うっ・・・どうしてそれを」

 秋山は狼狽した。

 『花』や『春夏秋冬』など個性的な作品を連続して発表し写真界に衝撃を与えた人物だった。突然ぱったり隠居して長い間消息を断っていた。全国を放浪しているともっぱら噂になっている写真家だった。

「俺、明日も日光にいます。写真教えて下さい」

「いやじゃ。わしはのんびり一人で写真をとるわい」

 秋山の目は笑っていた。

「光也君、登美子さんそれでは」

「あ、待って・・・・」

「また、どこかでな」

 秋山老人はさっさと外に行ってしまった。

 光也と登美子はロビーに残った。

「どうせ居場所の見当はついてる。追いかけるぞ」

 光也は立ち上がると走りだした。

「光也、こらっ、待ちなさい。わたしとの約束すっぽかすつもり」

 登美子はあわてて後を追いかけた。

 外は抜けるような青空が広がっていた。

 二人は風の中。

 

 

 

 ・・・・ 了 ・・・・

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