タイムスリップ


                          サイトウ

 


  目がさめた。

体を動かそうとしたが全然力が入らない。

自分がどこに入るのか考えた。

そうだ、俺は・・・確か映画を見にいくはずだったんだ。

でもどうしたんだろう。家を出てからの記憶が無い。

頭がぼーっとする。

どうやら俺は病院のベットに寝ているようだ。

俺はかすむ目でまわりを見渡そうとした。しかし首の自由がほとんど利かない。あきらめた。天井の黄ばんだ蛍光灯だけが見える。

腕を動かそうとした。いやに重く感じる。

ちらっと包帯が見える。痛みを感じてそれ以上動かすのはやめた。足も同じで動かそうとすると痛い。

どうも重傷らしい。とんだ災難にあったもんだ。交通事故、それとも、爆発事故?とりあえずは、生きているようだ。

部屋は薄明かるかった。

たぶん朝なのだろう。

時間は分からない。どの位こうやって寝ていたのだろう。

今日は何日?次の日、それともその次の日だろうか。

まさか一週間位意識不明だったりして。

俺は急に不安になった。確か、期末試験が月曜日からあったはずだ。

映画を見に行こうとしたのが土曜日だったから、もう試験は、終わってるかもしれない。追試、へたすりゃ、落第だっ!困ったぞ。

とにかく、きょうが一体何曜日なのか調べなきゃ。

俺は何とか首をそろそろと横に動かした。ずいぶん古い病院のようだ。おっ、日めくりカレンダーがある。

今日は六日、火曜日か・・・・・・。するとまる二日寝っぱなしだったのか。

・・・・・・まてよ、確か土曜日は二日だったぞ。なんたってはじめて小池さんを映画に誘ったんだからな。

小池美由紀さん。ああ、かわいいなあ・・・・・・ちくしょーそれなのにっ!チケットにも二日土曜日封切りってかいてあったし。

変だな、どれどれ・・・・・・1988年だって! えーっと、今年は1998年のはずだよな。てっことは十年前!

なんだ、なんで病院にそんな昔のカレンダーが。きっと印刷不良に決まってる。

俺は左腕につながれている点滴の管をみた。少なくとも、十年前の点滴じゃないことは確かだ。

よけいに、今日が何日か知りたくなった。

今度は首を反対側に向ける。

やっぱり、少しでも早く動かすと、首だけでなく背中の方まで痛い。

それでもなんとか反対側を向いた。

窓には薄いレースのカーテンが引いてある。

ベッドの隣の台の上にラジオがおいてあるのが見えた。

見覚えのないラジオだった。他の入院患者の持ち物かもしれない。あのラジオのスイッチを入れればわかる。スイッチさえ入れられれば。

右手を伸ばす。まるで鉄アレイでも持っているように重い。

包帯ぐるぐる巻きの手をラジオに近付ける。もう少しで指がスイッチに届くっ・・・・・・届いた。

音が出た。

小さくて聞き取れない。

ボリュームはどれだ。ツマミを右に中指の先で回す。

♪ごさぁーくーー、ごぉぉーさーあぁーくぅーー、はぁーるぅーでぇーーすぅーー」

えっ、演歌か?しかも、超レトロなやつ。

んっ?何だカセットテープじゃねえかこれ。

くそっ切り替えがどこかに・・・・・・体がいうことをきかないのでこれ以上手を伸ばせない。

あきらめかけたときさわったのが切り替えスイッチだったようだ。

演歌が突然途切れた。何か聞こえる。アンテナが伸びてないせいか音の入りが悪い、ひどいノイズだ。

それでも耳に音楽が・・・・・・なにっ。

クラッシックだ。こりゃNHKか?。おっ、何かしゃべるぞ・・・・・・。

「それでは、次の曲です。指揮カラヤン、ウイーンフィルハーモニーによる、ベートーベン第九番合唱付き。を今回は時間を延長してお届け致します。ごゆっくりどうぞ」
 

音楽が流れ始めた。

第九を終わりまで聞いてる程ゆっくりしてるわけにはいかない。俺は早く、今日が何日か知りたいんだ。

他の局に替えよう、選曲ダイヤルは・・・・・・だめだ、右端だ。このままじゃ無理だ。

そうだ、このコードを引っ張れば。

俺はコンセントからラジオにつながっているコードを引っ張り自分の方に引き寄せようとした。

けっこう重いなこれ。それに、デザインも古くせーな。どうみても年代ものだぜ。

少しづつ力を入れる。

体が痛い。ラジオがほんの数センチ向きを変えた。

もう少しだ。 あっ、

”ガシャッ”

バランスをくずしたラジオは台とベッドの間を落下した。そして、演歌もカラヤンも流すことなく永久に沈黙した。

「しまった!」

なんてことを・・・俺は自分のうかつさに舌打ちした。他の方法を考えなくては。




そうだ、看護婦を呼べばいいんだ。

ここは病院だから俺が苦しんでる様子を見せれば、きっとすぐ駆けつけるに違いない。

「おーい、看護婦さん。腹がいたいよー」

俺は、わざと大げさに叫んだ。つもりだったが声がかすれて、たいした大きさにはならなかった。

部屋の外まで聞こえただろうか。

聞耳をたててみる。何か、妙にしんとしている。人の気配がしない。

普通病院てのは騒々しいもんだと思っていたが、話し声はおろか人の歩く音もしない。

窓の外からは、自動車の音が遠く聞こえる。

何か配達しているようなバイクの音。

もう一度呼んでみる。誰もこない。

どういうことだ、ここは病院だ。病院のはずだ。どうして重傷の患者の呼び掛けに誰も応えないんだ

そういえば緊急の呼び出しボタンかなにかが、たいていベッドわきに付いているはずだが。

手の動く範囲を探してみる。それらしいものは無かった。

仕方ない、他の方法を考えよう。

俺は、体を少しづつ動かし首の向きを変えた。

この部屋は個室らしい。

俺の寝ているベッドのほかには、さっきラジオの乗っていた台と折りたたみ式のパイプ椅子があるだけのようだ。入り口近くの壁にテレビがあった。

「そうだ、テレビだっ!」

テレビを見れば、今日が何日かわかる。しかしここからテレビまでは動けそうもない

どこかにリモコンがあるはずだ。どこかに。

「あった!」

ラジオがおっこちたおかげで、その向こう側においてあったリモコンを見つけることができた。

手を伸ばす。届いた。俺にもやっとツキが回ってきたようだ。

テレビに向けてリモコンを操作する。

反応しない。

ウンともスンともいわない。

変だ。

リモコンは正確に動いているようだ。電池も入っている。するとテレビの主電源が入っていないのか?

「げっ!」

コンセントが抜いてある。

なんてことだ。

ツキはあっというまに俺を見離した。




すごく疲れた気がする。

頭も重い。

点滴のせいかそれとも、麻酔が切れたせいか、気分も悪くなってきた。

今日がいつかわからないなんて、こんな簡単なことなのに。なんとかならないのか。

俺はまた考えた。

ベッドの隣の台に引き出しがついていた。その中に腕時計があるかもしれない。それとも新聞か。

たいした期待はできないが、引き出しをそろそろと開ける。

中をのぞくほど体は動かないので、指先で探る。

ボールペンらしきものの感触、それにポケットティッシュ。雑誌らしき手触り。引っ張りだす。

週間プレイボーイだ。一体いつのだ? グラビアの水着の女性に見覚えはなかった。

引っ繰り返して、裏の発行日を見る。

瞬間俺は、金縛り状態になった。

「げげっ、平成元年!」

こんなに古いのが病室にあるわけない。てことは俺は、まさか・・・・・・。

事故にあった瞬間、過去の世界に迷い込んでしまったというのか。

そんなばかなことが!きっとどっきりカメラかなんかに決まってる。

どっかに隠しカメラがあって俺のうろたえる様子をみんなで見てるんだ。

痛む体で部屋中見渡した。とてもいたずらしてるような感じはなかった。第一俺はそんな有名人じゃないし、重傷患者をおどかしてもちっともおもしろいわけない。

俺は力なく点滴が静かに落ちていくのを見た。

まだ半分位残っている。当分看護婦は取り替えに来ないだろう。

もしかするとずっと来ないかもしれない。どうなったのかさっぱりわからない。

朝アパートを出たときから記憶が無い。あの時から何日たったんだろう。

誰でもいいから俺に教えてくれる人はいないのか。

「オーイ、看護婦さーん。・・・・・・誰かー。オーイ」

やけくそで呼んでみた、相変わらずなんの返事も無い。と、そのとき廊下に誰かの歩く音が。

「オーイ、誰か来てくださーい」

俺はここぞとばかりに叫んだ。背骨が痛い。

足音がこの部屋に近付いてくる。スリッパの音だ。

何だか看護婦にしてはひどくスローだな。

ドアが開いた、誰かがのぞいている。俺は声をかけた。

「すみません、看護婦を呼んできてください」

顔が見えた。

どうも老人のようだ。

やはりここの入院患者だろうか。ストライプのパジャマを着ている。

俺は再び言った。

「腹が、痛いんです。看護婦を呼んできてください」

俺のほうをじっと見ていた老人は、ぼそぼそした声で言った。

「若いもんは元気があっていいのう。コホコホッ」

耳が遠いのだろうか、この人は。

「あのー、看護婦さんはいないんですか?」

「今日は孫が、見舞いに来るんじゃよ」

だめだ、ぜんぜんだめだ。俺の話なんかひとつも聞いてない。

  のろのろと部屋を出ていこうとする老人に、俺は駄目だろうと思いつつ尋ねた。

「今日は何月何日ですか?」

老人は動きをとめて、ぼそぼそと言った。

「あんた、若いのに日にちまでわかんなくなるなんて、かなり強く頭打ったんだね。無理しないでちゃんと直すんだよ。コホコホッ」

「あっ、待って・・・・・・」

老人はそのまま行ってしまった。

「じじいっ!ふざけやがって」

俺は閉まったドアに向かって悪態ついた。

ちゃんと聞こえてるじゃねえか。まったく。

くそーっ、なんであんなじじいがいるんだ。

一体いまは何時なんだ。気になって仕方がない。

体の痛みより我慢できない。

なんとか冷静にならなくちゃいけない。落ち着くんだ。とにかく落ち着くんだ。

自分に言聞かせてみる。そして深呼吸。

窓から、日が差してきた。外は良い天気のようだ。

いくらか、落ち着きを取り戻した俺は、眠くなってきた。




突然、ドアが開いた。

女性が花束抱えて入ってきた。花束のかげから顔が見えた。

「こっ、小池美由紀さん!」

俺は思わずベッドから起き上がろうとしてしまった。全身が痛い。

「いてててっ」

俺はうめいた。

「あっ、大丈夫?まだ起きてはだめよ」

美由紀ちゃんはやさしい声で言うと、ぼくを介抱してくれた。

なんてかわいいんだ。こんなにそばで、しかもふたりっきり。

心臓の鼓動が早くなっていく。きっと熱も出てきたに違いない。

「こんなのかすり傷ですよ、はははっ」

俺は、やせ我慢して言った。美由紀ちゃんがお見舞いに来てくれたということは、やっぱり過去に戻ったわけじゃなかったんだ。

「小池さん、僕は一体どうしたんでしょうか?よく覚えていないんです」

美由紀ちゃんは花を花瓶にいけながら答えた。

「マンホールにおっこちたのよ、工事現場の。それも私の目の前で」

なっ、なんて、カッコ悪いんだ。

「それでね、すぐ病院に運んで、手当てしてもらったんだけど全身打撲で入院しなきゃいけないって」

「全身打撲か。どうりで包帯だらけなわけだ」

「外科病棟の病室に空きが無くてここに運ばれてきたのよ」

俺はさっきから聞きたくてしょうがない質問をした。

「この部屋何だか変なんだよ。カレンダーや雑誌がみんな古いんだ」

彼女は、ちょっとためらいの表情を浮かべ答えた。

「病院の人がいってたけど、ここは老人ホームに改装するはずだったんだって。でも予算が足りないので、四階建てのうち三階まで改装してやめちゃったんだって」

「・・・・・・」

「それで、ずっと使われて無かったんだけど・・・・・・。ここに入院患者を泊めたのは、なんでも十年ぶりだそうよ」

「げげっ、十年!?」

俺は絶句した。そして謎がすべて解けた。

十年前のカレンダーも雑誌も、変なじいさんは老人ホームにいてヒマをもてあましてる人だろう。

「なんだ、そうだったのか」
 

よく考えてみれば、十年前に戻るなんてある分けない。やっと、もやもやから開放された。

美由紀ちゃんは髪をかきあげた。やっぱりかわいい。

「しばらく、安静にしてれば退院できるって。それまでは毎日きてあげるから」

まっ、毎日きてくれるって!なっ、なんて親切なんだ。やっぱり俺のこと・・・・・・。

俺はますます熱が出てきたようだ。

「うん、ありがとう」

「ねえ、ケーキ食べない?買ってきたのよ」

「でも・・・・・・」

「お医者さんが、内臓はなんとも無いって言ってたから食べても平気よ」

「でも、僕手が・・・・・・」

包帯だらけの腕を見て、彼女はにっこりして言った。

「だいじょうぶ、わたしが食べさせてあげるから」

ゆっ、夢じゃないだろうか。まるで、これじゃ恋人どうしじゃないか。やったぜ!

美由紀ちゃんは俺をベッドに起き上がらせると、ベットわきの台で箱からケーキを取出しはじめた。

白のブラウスに、紺色のミニスカートをはいた美由紀ちゃんの後姿はとてもきれいだった。

俺はもう、うれしくてベッドから飛び出したい気分だ。

「どこかに、フォークないかしら」

美由紀ちゃんは腰を曲げて引き出しの中を見ている。

ミニスカートから伸びる美しい足。俺は思わずドキッとしてしまった。なんて素敵なプロポーション。

もっとそばでみたい。もうちょっと・・・・・・。もうちょっとで、パンティが見え・・・・・。

「わっっ」

無理な姿勢で体を傾けた俺はベッドからおっこちた。

頭をしたたか床にぶつけた。

彼女の驚く顔を見ながら意識が遠退いていった。

 

 

  目が覚めた。

頭がボーッとする。

確か俺はベッドからおっこちて・・・・・・。

痛む体で、部屋を見回した。病室の様子が一変していた。

薄暗い部屋は湿った土の匂いがした。

天井は木の柱がむき出しており、壁も床も土でてきているようだ。俺の体は木の粗末な台に寝かされていだ。おまけにかけてある布団はむしろかござみたいな、ごわごわ布団だった。

ここは一体どこだ。美由紀ちゃんはどうしただろう。

「み、美由紀ちゃん」

呼んでみた。返事は無い。

彼女の姿はなかった。代わりに戸が突然開くと、音もなく入ってきたのは数人の老婆だった。

白い浴衣のようなのを着て頭に変な飾りをつけている。どうみてもどっかの原住民だった。

「ばあさんたち、ここで何しようってんだ」

老婆たちは意味不明の言葉で何か話した。そして呪文を唱えながらは、俺の寝ている台の回りを回り始めた。

俺は力なくつぶやいた。

「やれやれ、今度は本当にタイムスリップしたらしい。それもそうとう過去に」



                        おわり

 

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