サイトウ
回りの動きが早くなっているような気がした。山田は最近そう思えて仕方なかった。
朝起きてから日が暮れるまであっという間のようだった。電車には乗り損ねるし、タクシーは拾えない。
会社ではうすのろよばわりされている。上司に呼び出され今日も説教を聞かされた。身に憶えのないことだったので反論したかったが、部長のしゃべりが速くて一言もいい返せなかった。話すのが遅いので有名な部長だったのだが。
日増しに自分との時間のずれがひどくなっていくようだった。山田はなんとか生活を合わせていたが寝るとすぐ朝になってしまうし、昼飯は注文しただけで食べる暇もなくなっていた。
さらにその速度は早くなっていった。
人の会話は倍速のビデオを見ているようになってきた。このままだと本当に会話もできなくなってしまう。
山田は意を決して医者にいくことにした。
医者にかかると頭がおかしいと思われるかもしれなかったが、このまま放っておくと本当に気が変になってしまう。
医者は混雑していた。受け付けをなんとかすませ俺は順番をまった。すぐに名を呼ばれた。こういうときは時間がすぐに過ぎて便利だった。
「山田さんどうぞ」
浩は医者に病状をやっと説明した。医者はすごい勢いでカルテに字を書き込んでいるように見えた。
「や・ま・だ・さん」
医者はかなりゆっくりとしゃべっていた。もっとも山田には恐ろしく早口に聞こえていた。
「やまださん、どうやらあなたは時間遅感症という病気のようですな」
「・・・・・・」
「つまり、時間の流れが早く感じてしょうがないという症状です」
医者は山田がどうせ会話が不可能なことを察知して一方的に話した。
「このままにしておくと時間のずれが加速度的に増大してあなたは世間一般の動きからとり残されてしまいます」
「・・・・・・」
「ほとんど路傍の石状態になってしまいます。これが山奥の洞窟で瞑想に耽っているのならばさして問題になりませんが、今の日本は残念ながらそういう場所は皆無にひとしいです。たぶん道路を横断しようとして車にはねられてしまうでしょう。いままで無事でいられただけも運がいいです」
山田はいい治療法がありますかと聞こうとした。口を開く前に医者は言った。
「治療法はあります」
医者は看護婦に命じて注射の準備をさせた。看護婦がアルコールしみ込んだ脱脂綿で山田の腕を拭いた。
注射器を手にした医者は液体をピュッと空間に飛ばした。
「これは時間加速剤という薬品です」
医者は針を山田の腕に射した。薬品が注入されていく。
「これで時間の感覚を通常に戻すことが出来ます。しばらくここで休んでいてください」
山田は診察室の隣の部屋で休んだ。回りのざわめきが意味をなしてきた。看護婦の会話が聞こえてきた。
「おっ、感覚が普通に戻ってきたようだぞ」
医者が入ってきた。
「山田さんどうですか?」
「あっ、先生。なんかとっても具合がいいです」
「薬が効いてきたようだ」
「先生どうもありがとうありがとうございます」
「山田さん、今日はここに泊まっていってください」
「いえ、僕はもう大丈夫です。帰ります」
「人によっては反応に個人差があり街にでると危険です」
医者は止めた。
「じゃ、失礼します」
山田はうれしさのあまり医者の止めるのも聞かず外に出た。
街の喧騒や雑踏がうれしかった。自分だけとり残されたような感覚からこれでおさらばできる。
「バスで帰ろう」
山田はバスに乗った。今までの疲れからか山田は座席に座るとすぐにウトウトした。
山田は目を醒ました。
「しまった。こりゃ寝過ごしたか?」
山田はあわてて回りを見渡した。
「あれっ?」
山田は目をこすった。街の動きが止まっていた。音の無い世界。すべての動きが凍りついていた。クルマも人の動きも。
「どうしたっていうんだ。薬の副作用か?」
山田はバスのドアを無理やり開けると飛び降りた。静まり返った世界。ストップモーションのかかった映画の街が眼前に広がっていた。
「まいったな、こんどは時間が遅くなってしまった」
山田はとにかくさっきの病院にもどることにした。あの医者ならこの状態がすぐに終わるかどうかわかるはずだった。
山田は歩きだした。自分だけが動いているようで妙な感覚だった。どうせクルマも止まったままなので混雑した歩道を避け道路の真ん中を歩いた。
病院の近くまでやってきた。山田は病院を入ろうとして肩にひどい衝撃を受けてひっくり返った。
血が流れた。ひどい出血だ。山田は片手でなんとか起き上がった。壁にもたれた。消火器が落ちていた。上から落ちてきたらしい。時間は完全に止まったわけでは無かった。ただ遅くなっただけだった。
「しまった」
やはり病院から外に出るべきでは無かった。山田はふらふらと診察室に向かって歩いた。
「先生、ケガをみてくれ」
山田は椅子に座った医者にやっと声をかけた。
医者はカルテにむかったまままったく動かなかった。
「はやく時間よ戻れ」
山田は念じた。次第に彼の意識は遠退いていった。
「キャーッ!」
看護婦が大声を上げた。
「先生大変です」
医者は床に倒れている山田のそばに寄っていった。そして脈を診た。
「だから、外にでてはいけないといったのに」
医者は首を振った。
「永久に時間は止まった。ご臨終です」
おわり