雨女
サイトウ
「ほんとに君と出かけると天気が悪くなるな」
窓ガラスを伝う雨の雫を目で追いながら原田はつぶやいた。
テーブルをはさんで長い髪の女性が座っていた。肌の色は白く面長の顔は清楚な美しさを持っていた。喫茶店の中の他の男性が彼女を意識しているのがわかった。
原田は回りの男に自慢したい気持ちでいっぱいだった。それと対象的に原田は顔にもてないと書いてあるようなさえない男だった。その意外性のため余計に二人は注目を浴びていた。
「ゆう子さん、また雨になっちゃいましたね」
「ええ」
「どうしましょう、これじゃせっかくのハイキングも無理ですね」
「残念ですわ」
ゆう子は切れ長の目で原田をじっと見た。
原田は見つめられてドキッとして思わず視線をそらした。
「どうですか、行き先を変えて映画でも見ませんか」
「わたしはどこでもいいわ、原田さんといっしょなら」
原田は赤くなった。
「そそっ、そうですか、でっ、ではいきましょうか」
二人は店中の羨望と嫉妬の入り交じった視線を浴びて出ていった。
原田がゆう子と出会ったのは六月の蒸し暑い夜だった。
その日は、雨がしとしとアスファルトの歩道を濡らしていた。ゆう子はひとけの無い道端で具合でも悪いのかしゃがみこんでいたのだ。
「あのー」
仕事で遅くなった原田がそこに通りかかった。どうしようか一瞬迷ったが思い切って声をかけた。
「どうかしましたか」
「・・・・・・」
彼女は原田を見上げた。
「!」
原田ははっと息を飲んだ。
濡れた髪の下の顔は白く夜目にもその美しさがはっきりとわかった。原田のハートを電流が流れた。
「ちょっとめまいが・・・・」
女性は立ち上がろうとしてふらついた。原田はあわてて手を伸ばして彼女の体を支えた。
「大丈夫ですか」
「えっ、ええ」
「ぼっ、ぼくが送りましょう」
「すみません」
原田はタクシーを呼んだ。彼女は何度もお礼を言った。
走り去るタクシーのテールランプを見ながら、原田はせめて名前だけでも聞いておくんだったと後悔した。彼女の美しい顔と体を支えた時の感触が忘れられず、その晩は眠れなかった。
何日かした夜、原田はまた仕事で遅くなった。
改札を抜けると雨が降っていた。カサを持っていなかった原田は雨に濡れながら歩き始めた。
「?」
ふいに雨が止んだ。いや、誰かがカサを原田にさしかけたのだ。
「あっ、君は」
あの時の女性だった。
「先日はありがとうございました」
彼女も仕事の帰りのようだった。長い髪。面長の顔、ほっそりしたスタイル。
原田には夢の再会だった。その後どんな話をしたのか原田は舞い上がっていて、ほとんど憶えていなかった。彼女はゆう子という名前だった。そして、幸運にも次に会う約束をすることができたのだった。
原田はその後何回かゆう子とデートした。今まで彼女なんて思いもしなかったことが現実となり原田は有頂天だった。
似合わないブランドもののスーツを着たり、流行の曲を聞いたり。そんな彼の様子を見た職場のみんなは冷やかしたが、原田はそんなことどうでも良かった。頭の中はゆう子のことばかりだった。
不思議だったのはゆう子と会ってるときは、必ずといっていいほど天気が悪くなることだった。
雨が降り出すのだ。天気予報で降水確率がゼロパーセントでも黒い雲がどこからともなく現れ、雨が降り始める。
「彼女は雨女なのかな?」
原田はそう思うようになった。それにちょっと気がかりなことがあった。
どうも彼女は元気が無かった。顔色は悪いし、すぐに疲れるようだった。
病気にかかっているんじゃないかと思って、医者に行くよう勧めたが曖昧な返事をするばかりだった。
いっしょにいると、雨は相変わらず降るけど別に構わなかった。なんといっても相合傘が出来るという利点もあったし。
何ヵ月が過ぎた。
原田とゆう子は日光にドライブに行った。
晩秋の奥日光は観光客もなく静かだった。戦場ヶ原のがらんとした駐車場にクルマを止め遊歩道を歩いた。
ゆう子はとても元気そうだった。顔は相変わらず白かったがほっそりとした体に躍動感があった。明るくなったような気もする。そんなゆう子の後ろ姿を見て原田は安心した。
二人は広い湿原の中にいた。
「空気が澄んでいて気持ちいいわ」
「ゆう子さん、寒くないですか?」
ゆう子は薄着だった。原田はジャケットを着ていたが風が少しでも吹くと寒かった。やはり奥日光だけあって気温が低い。
「わたしは大丈夫よ。歩いたせいで暑いくらいよ」
ゆう子は上着を脱いだ。原田は自分の視線が彼女の胸元に集中しているのに気づいてあわてた。顔が赤くなった。
「なんか、雲が出てきたね」
空に雲がいつのまにか広がっていた。
「雨、降ってきたら困るね」
ゆう子は空を見上げたまま原田に言った。
「原田さん、わたしのこと雨女だと思っているでしょう?」
「えっ?そっ、そんなことないよ」
原田はあせった。
「いいのよ、私と逢うときはいつも雨だったでしょう」
「ああ、そんな気もする」
「でも、私は雨女なんかじゃないわ」
「・・・・・・」
「ちょっと待ってて」
そういうと彼女は空に向かって両手を上げた。空を仰いで何か祈っているようだった。
回りの空気が冷たさを増したような気がした。少しすると何か降り始めた。
「雪?」
白い小さな雪片がちらちらと舞い降りてきた。
彼女は原田を見て言った。
「わたし本当は雪女なの」
「えっ」
「今まで体の具合が悪くていくらやってみても雨にしかならなかったの。やっぱり慣れない人間界の暮らしをしていたせいかもしれないわ。驚いた?」
「ああ、少し」
といったもののショックは隠せ無かった。
「原田さんに出会ってから、すっかり良くなったわ。ありがとう」
雪の降る戦場ヶ原を背景に、にっこりほほえむゆう子は美しかった。
原田はそんなゆう子を見ているうちに、ますます自分が夢中になっているのに気づいた。
「ゆう子さん、それじゃ、今度はスノーボードしに行こう」
「ええ、いいわ。わたしウインタースポーツは得意よ」
「ゆう子さん」
ふたりは抱き合った。
戦場ヶ原に静かに雪は舞い降りていた。
おわり